「昭和通りは今、どうなってるの?」
実家のある田舎町の一番の繁華街だった通りの様子を姉に尋ねた時、こんな答えが返ってきました。
「もう、見いる影もないほどに寂れてる。あの頃あったお店で今残ってるのは、文房具屋さんと、時計屋さんと、雑貨屋さんと・・・。」

話を聞いていて信じられませんでした。
小さな町とは言え、私が子供の頃は商店で買い物する人でそれなりに賑わい、車の往来も市内一番。都市銀行の支店があったり、百貨店があったり。高級宝飾店や大きな本屋さん。呉服屋さんやベビー服専門店。仕立てが上手いテーラーもありました。
それらみんな今はないというのです。

もう何年も、帰省をしても実家と必要な場所への往復だけで、他へ足を延ばすことはありませんでした。
姉の言葉を疑うわけではないものの、あの賑やかだった昭和通りが本当にそんな悲しい状態になってしまったのか自分の目で確かめたくて、帰省中、わざわざ遠回りをして車を走らせてみました。

ショックでした。涙が出そうでした。
見る影もないとはこの事なのか。
子どもの頃の思い出が崩れていくような気がしました。

町一番の繁華街だったのに、ゴーストタウンとは言い過ぎになりますが、ただの通りであり、しかもどちらかと言うと「寂しい」通りになってしまっていました。

繁栄はいつまでも続かない。
繁栄し続けるには訳がある。
繁栄し続けるには変化し続けることが必要。
「今」が常に最新だけど、次の瞬間にはそれは「過去」となり、過去にこだわっていると取り返しのつかないことになる。

30年以上も経てば、都市計画などの影響もあり町の様子が変わってしまうのは何ら不思議なことではないのかもしれません。
しかし、それも踏まえて「永遠」はなく、「存在」し続けるには、しかも、ただ存在するのではなく「繁栄」し続けるには、常に時代に柔軟に対応し変わることを怖れずに変わり続けることが必要なのだと強く強く感じました。

寂れた通りで昔と変わらない屋号で商売を続けている時計屋さんは小学校の同級生のお家でした。今は彼女とそのご主人が店主のようです。
そう言えば、子供の頃、私は彼女を「ちょっと変わってる」と思っていました。発想が常に飛んでる感じがしたのです。
しかしそんな彼女だから今もお店は続けられているのかもしれません。
彼女のお店の前を通り過ぎながら、自分が考えるフツーでしかモノを考えられない自分自身を強く戒めもしたのでした。

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