山王日枝神社献茶式へ行ってきました。

裏千家坐忘斎宗室御家元の献茶式でのお点前を拝見し、濃茶、薄茶、点心と、日常の喧騒から離れて心安らぐひと時を過ごすことができました。

 

お濃茶席でのこと。5人で1碗をいただくのですが、私は最初の1人目。あろうことか、濃茶における茶碗の取次作法を間違えてしまったのです。隣に座っていた次客に当たる友人がそれとなく耳打ちしてくれたのですが、全く気がつきませんでした。緊張していたわけではありません。振り返ってみればお茶席独特の雰囲気に呑まれてしまっていたのかもしれないし、心のどこかに客の作法を甘くみていたのかもしれません。

少しして自分の間違いに気がつき、顔から火が出そうになりました。すると、隣に座っていた友人が笑顔で言ったのです。

「お菓子の取次方とか、小茶巾の扱いとか、あれだけお稽古していても忘れているものよね。私、飲み終わった後、お茶碗回すの忘れちゃったもの。どこまで行っても勉強だよね。」

彼女が本当にお茶碗を回すのを忘れたのか、赤面してしまった私を思いやってそう言ってくれたのか、本当のところは分かりませんが、「どこまで行っても勉強」という彼女の心からの言葉に、ほんの少しだけあった自分の中の奢りのようなものに気がつき恥ずかしくなりました。

 

茶道の事のみならず色々な事について、「自分は完璧だ!」と思っていわけではありませんが、「自分は常に発展途上」と意識はしていませんでした。

ネガティブ思考が必要だと言うことではありません。「ここまでできた」「こんなに成長できた」と思うことは良いことだと思います。特に、自分を認めることが難しかった私にとっては、「ここまでできている」と「できていること」を認めるのはとても大切な事なのです。しかし人の成長に終わりはなく青天井です。ですから、人はどこまで行っても「常に発展途上」にあるということを忘れてはならないのです。

完璧だとは思っていなくても発展途上の意識が薄れてしまうことで、行動が横柄になったり、発言に謙虚さが見られなかったり、それは心の中のほんの少しの奢りがそうさせてしまうのかもしれません。実際、私の中には、薄茶はもちろん濃茶いおいても客側の作法は「できている」と思っていました。まだまだ茶道初心者の域を出ない私のそんな驕りが肝心な場所で間違いをしてしまう結果になってしまったのかもしれません。

 

「いろいろんなことが勉強だよね」という彼女の着眼点は本当に幅広く、私が見逃している事細かいことまでにまで実によく気がつきます。その一つ一つに好奇心を持って見たり聞いたり質問したりしている姿は、口先だけではなく自らが学ぼうとする心が滲み出ていて私にはとても眩しく感じました。

 

そう。人は常に発展途上なのです。ここまでたどり着いた!と思っても、更に上はある。頂上へ上り詰めた!と思っても、別の山がまた待ち受けているのです。

「自分は完璧!」と思っていたわけではありませんが、「自分はまだまだ常に発展途上」という意識の欠落が、間違いを引き起こしたり、学んで吸収するコトの質や量の違いを生むのだと痛感した出来事でした。

 

私は常に発展途上。

そう自分に言い聞かせ、謙虚に奢ることなく学びの質を高めていきたいと思います。

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