安岡定子先生が講師をされている湯島聖堂こども論語塾の見学へ行ってきました。

文字を読むどころか、まだオムツをつけている小さなお子さん。弟さんが生まれてからお母さんにべったり甘えん坊になってしまった3-4歳のお子さん。小学生高学年になり、すっかりお兄さん、お姉さんらしくなったお子さん。土曜の午前中、お父さまやお母さま、おじいちゃまやおばあちゃまに連れられて、一番下は2歳から10歳くらいまでのお子さんたちが、元気に集まってきました。

 

安岡先生が小さな子供にでもわかりやすく説明なさいます。

「朝起きた時、なんてご挨拶しますか?」「おはようございます!」

「そうね。『おはようございます』と言われたらみんなは何て言いますか?」「おはようございます」

「お家を出かけるときは?」「行ってきます!」

「『行ってきます』と言われたら何て言うの?」「行ってらっしゃい!」

「そうね。では、みんなが『おはようございます』とか『行ってきます』と言っているのに、相手の人が何も挨拶を返してくれなかったらどんな気持ち?」

「寂しい」「悲しい」「いやだ」

「そうね。こちらがご挨拶しているのに相手がご挨拶を返してくれないのは寂しかったり、悲しかったりしますね。そういう気持ちが大切なの。人と人とが付き合う時、相手の人を悲しい気持ちにさせたり寂しい気持ちにさせない。挨拶ができるというのは人と人とが付き合う時に、基本になる習慣なんですよ。

さっき読んだ『性 相近し 習い 相遠し』の『性』とは生まれつきという意味です。孔子先生は、人は生まれつきは近し、つまり、みんな殆ど同じで差はないと言っています。『習い』は習慣の事です。習慣によって人は差ができるということですね。挨拶の習慣がきっちりできている人と、できていない人。たった1回のことと思わないで、これが習慣になると、とても大きな差になるということです。ご挨拶だけでなく、色々な習慣がありますね。悪い習慣じゃなくて良い習慣が身につくといいですね。」

 

子供たちはキラキラとした目で先生の話を聞いています。まだ本当に小さなお子さんは、論語の意味など恐らく分かっていないでしょう。しかし、傍で一緒に聞いているお父さんやお母さんは必至でメモを取って、おそらくお子さんがもう少し大きくなった時、このお話をお父さんやお母さんなりにアレンジして伝えたり、『習い 相遠し』を合言葉のようにして、習慣の大切さを伝えていくのかもしれません。

子供たちが論語を素読する可愛らしい声と、ゲーム感覚で楽しそうに発表する姿、それを見守るご両親たちの様子、それに安岡先生の愛が溢れる授業。お教室は元気と幸せと愛に満ち満ちて、後ろで見ている私は終始笑顔でとても心洗われる時間を過ごすことができました。

小さな頃からこんな時間を過ごすことができた子供たちは、きっと、みんな素晴らしい大人へ成長するに違いない。そんな風にも思えたのでした。

 

 

2017年07月09日

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