2週間ほど前の札幌から大阪へ向かう全日空機で、新千歳空港手荷物検査場の混雑により出発が1時間以上遅れ、既に搭乗準備を終えて機内にいる乗客の雰囲気が悪くなってきた時、その便に乗り合わせていた歌手の松山千春さんがCAマイクから乗客の皆さんに語りかけ、代表曲「大空と大地の中で」を歌って機内の雰囲気を和ませたことがニュースになりました。

待たされた乗客のイライラが募り、機内の雰囲気がだんだんと悪くなる中で、「自分にできることはないか」と考え行動を起こした千春さんも素敵ですが、千春さんが声をかけたCAがその場で断ってしまうのではなく機長に取り次ぎ、取り次がれた機長の秋山さんがOKを出した。そのCAさんと秋山機長の英断も素晴らしいと思います。

 

搭乗客がCAマイクで歌を歌うなど、いくら芸能人であっても普通であれば絶対にNGのはず。

しかし、秋山機長はルールを守ることよりも悪くなった機内の雰囲気を少しでも和らげ乗客の気持ちが落ち着くことができるのならばと、ルールを無視するという選択をしたのです。

本来、ルールとは物事を順調に滞りなく進めるためにあるもの。ところが世の中、ルールを守ることが当たり前になっていて、そのルールが存在する本来の意味や目的がないがしろにされてしまっていることが多くあります。

 

ルールに則って。慣例だから。

ルールや慣例に従うことよりも良いやり方がある場合、または、ルールや慣例に縛られることにより弊害が起きてしまう場合に、本来手に入れたい正当な結果のためには、それを守り続けることよりもその枠から飛び出して行動する勇気が必要です。

 

実は今から30年近く前、私も1度だけCAマイクを握ったことがあります。

アメリカの国内線で200人位の搭乗客だったと思いますが、そのうち日本人は、私が添乗するグループと添乗員なしのグループが2つで、全部で40人ほどいました。ところが、天候不良で着陸が大幅に遅れる、または着陸できないかもしれないということになり、それに関する機内アナウンスがありました。アナウンスは全て英語です。ざわめき始めた機内の雰囲気から、日本人のお客様達は「何かあったのかな・・・」と不安そうな様子になりました。

英語のアナウンスが理解できる日本人の乗客は殆どいらっしゃらなかったのだと思います。

私はシートベルトを外して日本人の皆さんに状況を説明しようと立ち上がった時、アメリカ人CAに制止されてしまいました。危険だから座っているようにと。

そこで私は、日本人乗客が不安に思っているので日本語で先ほどのアナウンスを説明させてほしいとCAにお願いしました。私の場合は「そうした方がいいだろう」と単純な動機で、ルールを破ることになるなどとは考えてもいませんでしたが。すると、CAはなんの躊躇もなく笑顔でOKサインを出してくれ、CAマイクの場所まで私を連れて行ってくれました。

最初に英語で「日本人のお客様向けにこれから日本語で先ほどのアナウンスの説明をします」と断ったうえで、「日本のお客様へご案内いたします」と続けました。

私とCAさんとのやり取りを一部始終見ていたグループのお客さんが、「このCAさん(当時は「スチュワーデスさん」と言っていましたが)、気が利いていていいね」と嬉しそうにおっしゃっていました。

 

ルールは何のために存在するのか。

ルールは守るためにあるのではないのです。

その存在目的や意味を考えた時、必要によってはルールに捉われない選択をするということも私たちには大切なことなのです。

 

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