昨日のブログ「べき子からの卒業」で、「カギとなる『ありのままの自分=凸凹で完全でない、それでも愛すべき自分』をまるごと受け入れるのに、一体何をしたのですか?」というお問い合わせをたくさんいただきました。
「こうあらねばならない」というべき子の状態が強いままでは、そもそも凸凹の自分を受け入れたくても到底無理です。
紆余曲折を経て、そもそも私が自分を極端なまでに自己承認できなくなった原因、「母はなぜ、私を認めてくれなかったのか」ということを考えてみることにしました。

自分で言うのも何ですが、姉と比べると私は全くのダメ子でしたが、一般的にはそんなに成績が悪かったわけではありません。姉が凄すぎたのです。小学生の時は常にオール5。中学生の時は常に学年一位の成績。スポーツ万能で市や県の代表に選ばれたこともあります。それでいて性格は良く、鈴木京香さん似の美人さんで男の子からのラブレターはひっきりなし。生徒会役員を務め、先生方からの信頼も厚く、非の打ちどころがないのです。
母はそんな姉が自慢でした。姉に比べると平凡過ぎる私は、とてもじゃないけど自慢の種にはなりません。「お姉ちゃんを見習いなさい」という言葉がいつも子供心にプレッシャーでした。

すっかり大人になった私は、母が私を認めようとしなかった理由を、母の立場になって考えてみました。
すると、分かったのです。そうしなければ母が自分を保てなかった理由が。
北の大地から四国へ嫁いだ母には知り合いは誰もなく、生活習慣も風習も全く異なる土地での生活は、孤独との闘いでした。父は仕事で不在がち。何かにつけて姑がやってきてはあれこれと言われる中で、「自分の子供たちが親戚達のどの子よりも優秀であること」が、唯一、母のプライドを保てることだったのかもしれません。
姉はそれに十分に値しました。私は容姿は普通、成績は悪くはないけれども姉のようにずば抜けてはいないので、自慢の種にはなれなかったのです。

「そうか。母には母の、そうしなければいられなかった理由があったんだ。母が自分を保って生きてくためには、母の理屈では仕方ない事だったんだ。」

そう思うことができた時、母も苦しかったのだろうと切なくなりました。私は母の存在を証明するモノとして、当時の母の理屈では相応しくなかっただけなんだ。今、母の存在を私たち子供の成績で証明する必要は、もうない。私は完璧でなくてはならないと思う必要は全くないし、凸凹でも全く構わないんだ。
それに、子供時代の記憶をよーく辿ってみれば、確かに私は愛されていた。姉に比べられて辛い思いもしたけれど、愛されていたのだという事実が確かにある。夜中に高熱を出した私をおぶって病院まで走ってくれたこと。6年生の夏休みに病気で寝込んでしまった時も寝ずに看病してくれたこと。大好きだったクラシックバレエを高2の冬まで習わせてくれ、当時としては破格のソ連留学までさせてもらったこと。姉と私は顔立ちも性格も全く異なり、似合う色や洋服のデザインが異なるため、お下がりばかりでなく、私に似合う洋服をちゃんとそろえてくれたこと。
そう、私も間違いなく愛されていたのです。忘れていたけど、いえ、気がついていなかっただけで、私も姉に負けないくらいにちゃんと愛されていたのだということが分かったのです。

これらは、母に直接確認したわけではなく、私の勝手な想像です。
母の立場になって考えてみた。ただ、それだけです。
それでも、私の心は数十年間の靄が一気に晴れて、とても軽くなりました。
「ママは私よりもお姉ちゃんのほうが可愛いんでしょ!」
子供の頃、泣きながらこう言ったことが何度もあります。そのたびに、母は戸惑った表情で「そんなことはないよ。二人ともおんなじよ」と言うのですが、私は全く信じていませんでした。
今は、拗ねた物言いをして母を悲しませたことを申し訳なかったと思っています。
こうして、母の気持ちを推察し、「私は愛されていなかったわけではない。いや、愛されていた。」とはっきり理解できたことにより、凸凹な私でも母は本当は愛していてくれたことが分かり、私は凸凹のままでいいんだと思えるようになったのです。

色々想像したり、瞑想したり。
基本はセルフコーチングを行いました。
簡単ではありませんでしたが、きっかけを掴むことで、一気に靄が晴れました。

あくまでも私の例であり、「ありのままの自分を受け入れる」ための道筋は、人それぞれだと思います。
ただ一つ思うことは、回り道のようでも、いえ、道が外れているように感じても、実はそれが解決へのゴールへつながっているのではないかということです。そう、ゴールへの道は意外なところに隠れているのかもしれません。

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