50歳を過ぎてそれなりの年齢になっているということはまた、両親もそれなりのお年頃になっており、色々と不自由が生じてきています。
普段、離れて暮らしているだけに、GWや夏休み、年末年始のお休み期間中はできるだけ長く帰り、できることを精一杯したいと思っています。

しかし・・・。
ザ・昭和を絵に描いたような父は、できないコトが増え、娘の世話になるのがとても心苦しいようです。
「もう、何にもしてあげられんのに。そんなに気を遣わんでええから。心配せんでもいいから。何にもしてあげられんのに。ごめん。本当にごめん。気を遣わせて、迷惑かけて、本当に辛い。」
豪快だった父の気弱な姿を見るのは胸が痛みますが、私は大変とか苦労とか迷惑とか全く思っていないし、短い期間でも両親のために自分が何かできること、少しでも役に立てている事を嬉しく思っています。

「もう、今まで十分すぎるほどいろいろしてもらったから。それに、何にもしてくれんことないよ。こうやって、色々させてもらって嬉しいよ。楽しいし。だから、ありがとうね。」

涙ぐむ父。誰にも等しくやってくる老いではありますが、これほどまでに気弱になった父を目の前にして、私が言えることは精一杯の笑顔で「お世話させてくれて、ありがとうね。」ということだけでした。

お世話をしてあげている。
そういう感覚は全くありません。
少しでも役に立てているなら嬉しい。お世話をさせてもらえて嬉しい。
こういう機会を両親に与えてもらえてありがたい。
心からそう感じています。

「あんたの会社の人にもそうしてあげんかいよ。『してあげとる』じゃなくて『させてもろとる』思うて。そしたら、あんたの会社の人も幸せじゃけんね。」

人生の、そして経営者としても大先輩の父の言葉に、胸が熱くなって私まで涙が出そうになりました。
「帰っとる間は、いっぱい色々させてんね。楽しいし嬉しいし、そうするの好きなんよ。お世話させてくれて、本当にありがとうね。」

何かをしてもらってのありがとうも素敵ですが、何かをさせてもらってのありがとう。
言うほうも言われる方も、心がほっこり温かくなり、幸せな気持ちになれる素敵な言葉だとしみじみと感じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です