食べることが不自由になった父は、急激に食が細くなり、昨年末に体重が一気に3キロも落ちてしまいました。
その時、食事を作っていた姉はひどく落ち込み、色々と工夫を凝らしたのですが、父が積極的に食事をすることはなかったそうです。
私が帰省をしてからは、食事の用意は私の担当。これでもお料理が好き(決して得意とは言いません)な私は、誰かのために作れることもあり、姉の心配をよそに、これなら食べれるかな~と父の好きなもの、食べられそうなものを選んで三食の用意をしました。

すると・・・
姉の心配をよそに、父は意外にも食べてくれます。
もちろん、積極的にというわけではありませんが、それでも姉から聞いていたのとは全く異なり、用意したものはほぼ完食。味に文句を言うわけでもありません。

ますます落ち込む姉。
フルーツや出来合いのものなど、全く同じものでも姉の時は手を付けないのに、私の時は食べる
姉と私の時の両方を見ている母は、「体調が違うのよ。」と言うのですが、何か理由があるはずだとずっと思っていました。

そうしたところ、ある発見をしたのです。
父がちゃんと食べてくれる時は、必ず私も同じものを同じタイミングで一緒に食べている。
また、私が食べようとしているものを半分こにして父と一緒に食べている。
かたや、姉の場合、父のためにあれこれ工夫をして用意をするのですが、姉は食べない、または別のものを食べる。
これは大きな違いです。

子どもを育てる時にも、メンバーを育てる時にも、
⓵ 手本を見せる
⓶ 一緒にやる
⓷ 一人でやらせてみる
の順序を追うことがとても大切だと言われています。

子ども返りが始まってきた父にとって、「手本を見せる」「一緒にやる」、つまり「一緒に同じものを同じタイミングで似たような量を食べる」ということが必要だったのではないかと思っています。
その証拠に、私がダイエットのために少し食事を控えたいと思い、ほんの少ししか食べなかった時には、父も早々に箸を置いてしまいました。母が具合が悪く食欲がないと食事を抜いた時にも、父の食事の量は一気に減ってしまいました。
ですから、今、食べることがトレーニングのようになっている父にとっては、いきなり一人でやらせる(食べる)ではなく、特に、「一緒にやる」が大切なのだと思います。

メンバーに手本を見せることもせずに、いきなり「やれ!」では、メンバーの納得度も低いばかりでなく、「この人、自分はできないくせに(やらないくせに)、私にばかり命令する」と思うかもしれません。
また、いくら手本を見せたからと言って、その後、いきなり単独でできる方が稀であり、「一緒にやる」という事が学びにはとても欠かせないことです。
まさしく「五十六メソッド」の「やってみせ 言って聞かせて させてみて」の世界です。

仕事の現場では多忙さも手伝ってか、意外にもよく抜け落ちてしまう「一緒にやる」ことの大切さ。
思い出させてくれた父に感謝しています。

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