夜、姉から不思議なメールが届きました。
「実家でS社の車に乗ってた記憶ある? 夕飯の時、お父さんはあると言い張るんだけど、お母さんと私はないよと揉めちゃってね。まあ、どうでもいいんだけどね。」

昨年から物忘れがひどくなってきた父です。
楽しいはずの夕食の時間、1対2で「ある」「ない」と軽い論争になったであろうことが容易に想像できました。

しかし、思い返して見ても、父がS社の車に乗っていた記憶が私にもありません。父の実家、つまり祖父はS社の代理店経営をしていたにも関わらず、私が物心ついた頃から父はT社の車に乗っており、私はそれがずっと不思議に思っていたのですから。
「う~ん。覚えていない。小さい時に、S社の軽の後部座席にお着物着て映ってる写真あるけど、あれ、そうかなぁ・・・ 。あれは、Iおばちゃまの車だった気が・・・」

「もっと大人になってからの話よ。社会人になってから。」
姉のダメ出しに、ほんの一瞬、父の記憶への疑惑を抱きました。
「覚えてない・・・。父の車はずっとT社。最初のセカンドカーもT社で通称『赤車』。S社なんてあったかなぁ。やっぱりボケてきてるのかなぁ」
そんな事を考えていた時、なぜか急に小さな出来事を思い出したのです。
ある日、父が実家の車庫にバックで駐車する時、ほんの少し段差になっている所を上がるのにアクセルを強く踏みすぎて、車が家の塀に激突し、塀は崩れ、車も後ろがひしゃげ(父は全く無事でしたが)、その車は廃車にしたという話です。
あれは確か・・・・ 命短き(使用期間が短かったという意味で)S社の車だったかも・・・・

既に私は東京で生活しており、近くで見ていたわけではありませしたが、休みに帰った時、いつもは2台あるはずの車が1台しかなくなっていて、不思議に思って母に尋ねたところ、母が苦笑いしながら話してくれたことを思い出したのでした。
そして、私が駐車する時に、「気をつけてよ。塀にぶつけないでよ。修理代大変だったんだから。」と言われたことも。

そう言えば、あの車は確かシルバーの・・・。
「鼠色の車嫌だ~」と言ったら、「シルバーよ」と言われたような・・・
私が「ウルトラマンみたいでカッコ悪い」と言ったような・・・
2000㏄の父の車がちゃんとあるのに、1200CCほどのウルトラマン車は小回りが利いて乗りやすいと、父は何かにつけてそれに乗っており、母は大きな2000㏄を運転するのを嫌がっていたような・・・・
確かあれは、赤車の後に買ったやつで・・・
ウルトラマン車退場後は、「2台いらないね」となり、それから車は1台で、母がだんだん運転しなくなり・・・
あの頃はまだ、帰省も車じゃなくて飛行機で、空港までウルトラマン車で送ってもらうの嫌で、文句言ってたな~。
ずっとT社の車しか乗らなかったのに、ウルトラマン車が突然やってきて不思議でたまらなくって、父に根掘り葉掘り質問したっけ・・・

私の記憶の断片が次から次へと奥底から浮き上がってきて、点と点が繋がって線となってきました。
すっかり忘れていて記憶の奥底深くに沈んでいた思い出が、次から次へと脇上がってきたのです。

繋がった記憶を姉へのメールに綴ると、姉からすぐに返信が届きました。

「よく覚えているね。お父さんが間違えてたんじゃなくって、私たちが忘れてたのね。物忘れ酷いから、てっきり、またなんか言ってるって思ってた。」

姉の返信を見て苦笑いしてしまいました。
「これだ~」

姉に限らず、誰しもがついついやってしまう、職場でも家庭でも、どこにでも起きる悪習慣。
レッテル貼り

相手に対して必ずしもポジティブに思っていない点があり、それが自分の表面的フィルターに触れない時、相手が間違っていると思ってしまう。
今回で言えば、「父は最近物忘れがひどくなってきているので、今言っている事もまた、勘違いか勝手な思い込みに違いない。」というものです。

ではなぜ、今回私は、レッテル貼りに陥らずに済んだのか。
メンバーに対してレッテルを貼ってしまう時に、「良いところを見てあげましょう!」と言うのとは今回は違います。
自分でも不思議だし面白いと思ったので、自分自身を振り返ってみました。
確かに父は物忘れや勘違いがひどくなってきており、「え???」と思うようなこともたくさんあります。
思い当たる理由はたった一つ。
「信じていた」のではなく、「信じたかった」のだと思います。
姉や母を相手に1対2で言い争うほどに強く主張したのであれば、父の言うことが正しいのではと「信じたかった」ということです。
そして、「S社は記憶のどこに隠れているのかな~?」と一段一段、注意深く記憶の階段を降りて行ったら、自然にいろいろな事が思い出されてきて、固く閉ざされすっかり忘れ切っていた昔の思い出が一つ、また一つと蘇ってきたのです。
「ある」と思って探すのと、「ない」と思って探すのとでは見方も見え方も違うということです。

結局のところ、レッテルを貼るという事は、良くも悪くも自分の判断で決めつけてしまっているわけで、それ以上とか、それ以下とか、その判断以外の可能性をシャットアウトしてしまっている事に他ありません。
そうではなく、勝手に決めつけない。相手を信じる。
それが何よりも大切なことなのだと思います。

私のメールを見て、自分の記憶違いではなかったとドヤ顔の父の満面の笑顔が目に浮かびます。
信じてあげるだけで、元気になってドヤ顔ができ、気持ちが明るくなって笑顔になってくれるのであればお安い御用です。
それは父に限ったことではありません。
子どもを信じる。
仲間を信じる。
メンバーを信じる。
リーダーを信じる。

「誰かから信じてもらっている」と思えるだけで、人は大きなエネルギーを得られるのだと思います。
お騒がせな姉からの深夜のメールでしたが、「信じる力」を思い出させてくれてありがたく思うと同時に、父に限らず、周囲の人を無条件で愛し、無条件で信じることができる、そんな器の大きな人間にもっともっと近づいていきたいと思うのでした。

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