私には心から尊敬する師と呼べる人が2人います。
お一人は人生の師 陶芸家の北川八郎先生。
もうお一人は茶道の師 裏千家 青井宗久先生です。

お二方ともそれぞれの道を究めておられる専門家としての素晴らしい技術をお持ちですが、何よりも私が尊敬すべきところはそのお人柄です。
人として学ぶべきところが多く、お会いして言葉を交わすだけで温かな愛に包まれ優しく穏やかな気持ちになります。
決して偉ぶらず、驕らず、苦手なことやご自身でダメだとお感じなられるところも正直にお話になり、その人間臭さが私はたまらなく大好きです。

ある時、北川先生のお近くに常にいらっしゃる方が私にポロリとおっしゃったことがありました。
「尾藤さんみたいに『先生の人間らしさ』と見る人ばかりじゃないのよ。先生なんだからもっとちゃんとしてくれないと困るという人もいてね、なかなか難しいのよ。」

思わず苦笑いしてしまいました。昔の私がそうだったからです。
先生なんだから、勘違いとかしてもらっては困る。「ちゃんと」してくれないと。
メンバーに厳しくネガティブアプローチをしていた頃は、上司や先輩、先生と呼ぶ人たちにも「ちゃんと」を求めていました。

「尾藤さんって、完璧主義なんだから。でも、完璧な人間なんていないよ。」と見かねた友人が皮肉交じりに私に言いました。
「だから、お金払って学んでるんじゃない。なのに、先生がそれじゃぁ困るでしょ。」とすかさず私は猛反論したものです。
本当に、「かつての私」は全くもって困ったちゃんでした。

今、私はかつての判断基準の「ちゃんと」したことからズレていることがあっても、相手に対してムッとしたり残念に思ったりという事は殆どありません。
先日も「あれ? 今日、尾藤さんお稽古だったけ?変更聞いてたの忘れたわ~」と茶目っ気たっぷりにおっしゃる青井先生に対して、ハグしたいくらいの愛情は覚えても、苛立ちを覚えることは全くありませんでした。

昔と今は何が違うのか。
ある時、気がついたのです。
青井先生を例に取ると、今は青井先生という「人」で見ているのに対して、かつての私は何かを学ぶに「相応しい技術と行動」の部分でしか相手を見ていませんでした。ですから「相応しくない」と私の基準で勝手に判断すると、ブツブツと文句を言ったり不満に感じたりしていたのです。
しかし、今はそんな小さなものさしはどこかへ行ってしまいました。青井先生という人をまるごとで見ているので、仮に先生にうっかりミスがあったとしても、それに対してどんな風に対応なさるのかがとても勉強になるし、そうならないように次への対策をどう講じられるのかをこっそり学ばせていただいたりと、全てが学びの材料となり、私自身の糧となっていて、先生のうっかりも却ってありがたいと思えるのでした。

視野が狭かった。
そう言ってしまえばそれまでかもしれません。
しかしやはり、知識や技術ばかりに頭が行っている時には、そういう視点に陥ってしまうものなのかもしれません。
「尊敬できる上司とか先輩とか、いないんだよね~」と悪びれもせずに言っていた時代。
恐らくその頃は、実績とか知識とか、そういう「部分」でしか相手を判断していなかったのかもしれません。
今は「その人まるごと」で相手を見ることができるようになりました。
お陰で好きな人が増え、至る所に学びの対象となる人がおり、毎日が飽きることなく楽しく充実しています。

尊敬できる上司なんかいない!
好きな先生いない!
先輩は変な人ばっかり!

そう嘆いているあなた。もしかしたら、あなたもかつての私のように「まるごとメガネ」ではなく「部分メガネ」で相手を見てしまっているのかもしれませんよ。
素敵な人や魅力的な人は、きっと身近に溢れています。残念ながら、まだ見えていない、気づいていないだけなのかもしれません。
「部分メガネ」から「まるごとメガネ」に掛け替えて、磨きをかけて、もう一度周囲をよく見まわしてみて下さい。
きっと、これまでとは異なる世界が見えてくるに違いありません。

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