「コンビニの店員に『ありがとう』とお礼を言うだなんて考えられない。」「コンビニの店員なんて自販機と同じだろう」「お礼を言うほどの事をしてもらっていない」というツイートが若者の間で賑わっているというネットニュースを目にしました。
何とも嘆かわしいことだと私がプライベートのFacebookに投稿したところ、友人がこんなコメントをくれました。

「ありがとう」って知らない方にも言うと清々しい気持ちになることが多いと思うのですけどね。
そこはやはり、成功体験を積んでいく、ってことなんでしょうか。

「ありがとう」に成功体験?
このコメントを目にした時、私には全くこのコメントをくれた彼女の言いたいことが分かりませんでした。
「ありがとう」に成功体験が必要なの? それは言われることに必要なの? 言うことに必要なの?
暫く考えましたが全く分かりません。
しかしコメントの主は尊敬すべき友人で、訳も分からずおかしなことを発する人ではありません。
私の理解の及ばないところに彼女の真意があるはずだと思い、必死に考えました。考えました。考えました。
わからない・・・・

そんな時、子どもの頃のある出来事を思い出したのです。

母はとても綺麗好きで、家中いつもお掃除が行き届いていた我が家でしたが、なぜかその日は洗面所のシンクも脇に置いていある石鹸箱も汚れていました。
朝、歯磨きをしている時にその事に気がつきました。「珍しいな。洗面台が汚れているなんて。」と思い、学校へ行く前にスポンジでシンクと石鹸箱を洗い、乾いたタオルできれいに拭きあげてから登校しました。
夕方、学校から家に戻ると、机の上に当時大好きだった明治のイチゴチョコレートが母の手紙と一緒に置いてありました。
「洗面台、きれいにしてくれてありがとう。」
メモ用紙に母の文字で短く書かれた手紙と大好きなイチゴチョコレート。
私は嬉しくて小躍りしたことを覚えています。
「私がお掃除したんだよ」とわざわざ言わなくても、母は私がやったと分かってくれた。そして大好きなチョコレートをご褒美にわざわざ買ってきてくれた。

当時、父が脱サラ(今では死語ですね)をして会社を興したばかりで、家計は火の車でした。
幼いながらに我が家は贅沢できないことを分かっていたので、母からのチョコレートのプレゼントがとても嬉しかったのです。
「ママ~。チョコレートありがとう~。」
喜び勇んで母にお礼を言いに行くと、「お掃除してくれたの由佳でしょう?ありがとうね。嬉しかったからママからのプレゼントね。」と言って、ぎゅぅっと抱きしめてくれたことを覚えています。
まだ小学2年生かそこらだった私は、「ママが『ありがとう』って言ってくれた~」と嬉しくてたまりませんでした。
もしかしたら、私の「ありがとう」の成功体験はそこがスタートだったのかもしれません。

もしかしたら、彼ら(若者たち)は何気ないちょっとしたことで「ありがとう」と言われたことがないのかもしれない。だから、「ありがとう」と言われた時の何とも言えない嬉しい気持ち、ちょっぴり誇らしい気持ちや、「ありがとう」と自分が行った時に清々しい気持ちを経験したことがないのかもしれない。

そう思うと、彼女が成功体験と言った意味がなるほどと理解できたのです。
すっかり自分の物差しでモノを見て考えてしまい、友人のメッセージを即座に理解できなかった自分をとても恥ずかしく思いました。
「ありがとう」も言わないなんて失礼な人! と一方的に決めつけるのではなく、「ありがとう」にも成功体験を積んでいく必要性を改めて理解したのです。

職場においても、ビジネス現場においても、「ありがとう」とお互いに感謝し合える関係はとても素敵です。それができない人を勝手に責めるのではなく、そこにも小さな成功体験を積めるようにそんな環境を作ってあげる。
そんな大きく広い心が私たちリーダーには求められているのだと思います。

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