「開きかけた芍薬はもう少し短くして手前に生けた方がバランスがいいよ。」
「ガーベラはもう少し背を低くした方が花瓶に合うよ。」
「もう少し裾すぼまりで着付けた方が綺麗よ。帯締めは違う色の方がいいかも。」

離れて暮らす両親へ送ったメールと共に添付した写真に、母から返ってくる返信の一例です。
何気なく送った写真や文章に対して、「さりげないダメ出し」があるのです。
私は綺麗なお花を楽しみたいだけなのに、華道のお免状を持っている母からは稚拙な生け方にしか見えずについつい口を出してしまう。
華道や着付けに限らず、子供の頃から何かにつけてそうでした。
私はいつもこれらを真正面から受け止めて凹んでいました。

ところが、いつの間にか気づかずして母と全く同じことをメンバーにしている自分がいました。
私の合格基準で物事を判断し、メンバーがその域に達しない時には褒めながら落としてしまうのです。
「頑張ったね。もう少し〇〇だったらもっと良かったね。」という具合にです。

「尾藤さんから褒めてもらった記憶がない」とかつて言われたのは、この「褒めてから落とす」が理由だったように思います。

母がそうであるように、私にはメンバーを「落として」いるという自覚は全くありませんでした。
心底「〇〇だったらもっといいのに」と思っているだけで、親切にアドバイスしているつもりなのです。
しかし、毎回毎回言われる方はたまりませんよね。
いつもその人の合格基準で判断され、そこにポジティブフィードバックがないのですから。

チームのゴールは共通であっても、個人の成長におけるゴールはそれぞれであってリーダーのそれとは全く別物です。
ところがかつての私はそこを全く勘違いしており、「ここまで引き上げてあげなきゃ」と、メンバーのゴールを自分基準のゴールに勝手に設定してしまっていたのです。
その結果、期せずしてメンバーのやる気を奪い、成長を阻害する要因に自らがなっていたのです。

「芍薬はね・・・」
の母からの返信メールを見て、かつてのほろ苦い思い出が蘇ってきました。
「尾藤さんから褒めてもらった記憶がありません・・・・」
私も母から褒めてもらった記憶があまりなかったかも・・・

「いつもアドバイスありがとう。」
「スルーする」ことを覚えた今の私は、年老いた母の気分を損ねないようこんな風に返信します。
母のゴールと私のゴールは違うのです。
もちろん、必要なアドバイスはありがたく受け止めます。
それでも例えば「花を生ける」を例にとっても、母は教本通りに美しく生けることを良しとしていますが、私はただ、綺麗なお花を楽しみたいだけで、「好きに飾りたい」のです。
母の基準・ゴールに振り回されて自分を失う必要はないのです。

メンバーが今の私のように「スルーする」ことができるなら、かつての私のようなリーダーだったとしても、そのメンバーは自由でいることができるでしょう。
しかし、メンバーがスルーすることができずに真正面から受け止めてしまうようなら、折角の成長の芽もあっという間に摘まれてしまうかもしれません。(芽を摘んでしまっているのは悲しいかな、リーダーなのですが・・・)

あなたのゴールと相手のゴールは違うのです。
あなたがリーダーであるならば、自分のゴールで相手を見てはいけません。
あなたがメンバーであるならば、スルーすることを覚えましょう。

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