小学4年生のA君とB君がボールで遊んでいたところ、勢い余ってA君の顔にB君が投げたボールが顔に跡がつくほどに思いっきり当たってしまい、A君の顔が腫れてしまった。
B君はA君に謝り、B君から話を聞いたB君のお母さんも、B君と一緒にA君の家へ出向き、A君とA君のお母さんに謝り、二人の子どもたちとお母さんたちの間には何のわだかまりもなく問題は解決していた。
翌日、学校でA君の顔が腫れているのを見た担任の先生は、「誰にやられたの?!」とA君に聞いた。
正直に言うと仲良しのB君が先生に咎められると思ったA君は「上級生に・・・」と嘘をついた。
問題をこのまま放っておいてはいけないと、先生は5年生の教室へA君を連れて行きこう言った。
「この中にいる?指さして!」
困ったA君は「いない・・・」と言った。
すると先生は6年生の教室へA君を連れて行き、「この中には?指さして!」と言った。
A君は「覚えていない・・・」と呟いた。
疑われた上級生たちは「なんだよ、あいつ!」とA君のことをひそひそと陰口をたたいた。
困り果てたA君は家に帰ってお母さんに相談した。
お母さんは先生に説明した。子ども同士の遊びの中で誤って起こってしまったこと。B君もB君のお母さんも謝りに来てくれ、A君も気にしておらず、お母さん自身も何らわだかまりもなく、この件は既に終わっていることなのだと。
すると担任の先生はこう言った。
「こういうことは、子供は親には言いづらいことなんです。いじめがひどくなってからでは遅いんです。私のクラスでいじめなんて許しません!」

聞く耳を持ってくれない担任の先生に困ったお母さんが、ラジオの相談コーナーに寄せたお話です。(また聞きなので、多少の齟齬はあるかもしれませんが)

この話を聞いた時、私が思ったこと。

一つ目は、「この担任の先生は、『誰のため、何のため』に一生懸命なんだろう」ということです。
そもそも、A君の顔の腫れを「いじめ」が原因と決めつけているため、はなっからA君の話もA君のお母さんの話もまともに聞いていません。「自分のクラスでいじめなんて!」という思いでいっぱいのようです。
子どもたちのことを思って「いじめは許さない!」と思っているのか、先生自身のプライド(見栄)のために自分のクラスでいじめが起きることを許さないと思っているのか。
この話だけ聞いていると、後者のような気がして他なりません。

さらにはこんな風にも思いました。
「この担任の先生のように、独りよがりの行き過ぎた思いが相手を潰すパワハラに発展するのよね・・・。パワハラ加害者予備軍だ~。」

この先生は一生懸命な先生だと思います。その一生懸命さが独りよがりになった時、そして行き過ぎてしまった時、悲しいかな、パワハラになってしまうことが往々にして見受けられます。
「良いクラスにしたい」は「成績が良いチームを作りたい」「勝ち続けたい」にいつの間にか変換されます。
子どもたちのため、クラスのため、学校のため。
その大義名分のためにいつしか「行き過ぎた」行為になっているとも気がつかずに、どんどんと相手を追い詰めてしまうのです。
しかし本来は「良いクラスにしたい」のは「子どもたちの成長のため」であって、クラスのためでも学校のためでも、ましてや担任のためでもないはずです。
独りよがりになるとは、「〇〇のため」が心の奥底のところでは王道から外れてしまった事をきっと言うのですね。
ちなみに、一生懸命でない人にはこのケースは当てはまりません。一生懸命で熱心な先生だから陥ってしまう落とし穴なのです。

同様のことが組織でも言えますね。
メンバーのため、チームのため、会社のため。
本当にそう? それってマネージャーやリーダーの独りよがりではないですか?
パワハラ加害者の多くが「自分はパワハラをしているという自覚がない」というのはあながち嘘ではないと思います。
本人達は本当に「〇〇のため」と思っているのでしょう。
しかし、その「〇〇のため」が心の奥底の本音の部分では違っているのです。
「メンバーのため」と言いながら、当人も気がつかない心の奥の奥では「自分のため」だったりするのです。
「デキるメンバーを育てたらリーダーとしての評価は上がる」「チームが勝てばリーダーとして鼻が高い」など、潜在意識の中ではこんなことを思っているかもしれません。

話は反れますが、私の高校受験の成績は何をどう間違えたか素晴らしい成績だったようで、入学後の最初の父兄面談で母は担任の先生から「東大を目指してください!」と言われたそうです。
その時の母の言葉が笑えます。
「いえいえ、きっとまぐれです。それに女の子ですから東大なんて・・・・」
すると担任は「お母さん!お母さんがそんなことだと困ります。東大に十分に入れる成績ですから!」
「先生。東大に入るのは娘のためですか?学校の実績のためですか?」
これには先生も黙ってしまったそうですし、以後、先生が私を東大へと勧めることは一切ありませんでした。
母の言う通り、入試の結果は全くのまぐれであり、とてもそんな学力など私にはなかったので当たり前と言えば当たり前の事なのですが。

話を戻します。
私がA君のお母さんなら担任の先生にこう言います。(多少なりとも学んでいるので、母のように超直球は投げません。)
「ご心配いただきありがとうございます。ただ、私もB君のお母さんも子供たちも、今のところではお互いに納得しており、なんのわだかまりもありません。もしかしたら先生の仰る通り、親には言えない何かが子供たちの間にはあるのかもしれません。しかし、今それを問い質しても、何も出てこないでしょうし、それが賢明とは私は思いません。ですから、今まで以上に注意深く、子供のことをよく見て、よく話を聴いて、こちらからも言葉をかけて、じっくりと観察したいと思います。先生もどうか、二人のことを注意深く、そして温かく見守っていただけるとありがたいです。」

相手の異変に気がつく最初で最善の方法は相手を「よく観察する」ことだと思います。
疑うのでも問い詰めるのでもなく、よく見て、よく話を聴いて、不思議に感じたことがあったら相手が受け取りやすい言葉で質問する
シンプルですがこれがベストなのだと私は信じています。

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