「互いを知る」ワークで、その人が「褒めてほしい表現」を使って「相手をとにかく褒めて褒めて褒めちぎる」というワークをした時のことです。

皆さん笑顔で照れながらも褒められている中、たった一人、無表情の人がいました。
心の中は伺い知れませんが、表情だけ見ると「憮然」という表現がぴったりの様子でした。
その方は、他の仲間を褒める時にも「憮然」な感じで・・・
褒めてほしい表現が紙に書かれて目の前に提示されているにもかかわらず、上手く褒められない様子でした。

ワーク終了後、「褒めてもらった」「褒めた」感想を共有していただきました。
「普段褒め慣れてないと、褒めるの難しいよね~」
「褒められるのって、ホント、嬉しいよね。」
「管理職になるとあんまり褒めてもらえないから、嬉しさ忘れてて、部下のこともあんまり褒めてなかった。もっと褒めてあげよう。」
などと様々な感想が話されていた時、例の憮然さんがこう言ったのです。

「褒めてばかりで甘やかすのもどうかと思うけどね。」
とてもぶっきらぼうでトゲのある言い方でした。
同じチームの他の人たちからは一瞬にして笑顔が消え、皆、黙ってしまいました。

「褒めてばっかりで、つけ上がられても困るじゃないか。」
言葉を続ける憮然さん。
他の人たちは互いに顔を見合わせ、何か言いたげでしたが黙ったままでした。

「甘やかす」ってどういうことでしょう?
「何のため」に褒めるのか。
決して相手を甘やかすためではありません。

感謝の気持ちを表すために褒める。
称賛の気持ちを表すために褒める。
嬉しい気持ちを表すために褒める。

意図的に気持よくなってもらってお立ち台に立って踊ってもらうために褒めるのでとありません。

「つけ上がる」ってどういうことでしょう?
調子に乗るという意味でしょうか?

褒められることで気分が上がり、「よーし!もっと頑張ろう!」と思ってくれるのなら、なんの問題もないはずです。
褒められることで勘違いして天狗になるようでは困りますが、もしそうだとしても、それはちゃんと指摘をしてあげれば良いだけのこと。
褒めることを「アメとムチ」のように使い分けるという考えは間違っていると私は思うのです。
(そもそも私は、「アメとムチ」という考え方には反対です。)

褒めるところがあればどんどん褒めてあげれば良い。
特段の実績や結果が出ていなくても、行動やあり方で認められるところがあるのなら、どんどん認めてあげれば良い。
何も特別なことではなく、「いいね!」といった感じで良いのではないでしょうか。

「けどさ、やっぱり僕はもっとメンバーの事、褒めてあげようと思う。自分が嬉しいと感じたこと、メンバーにもしてあげようと思う。」
「管理職だって褒められて嬉しいもんね。若手だったらもっと嬉しいよね。」

みんなが自然にそんな話をまたし始めたのを黙って聞いていた憮然さん。
研修終了後に記載した「明日からのTo DO」に「部下を褒める」と書いているのを私はしっかりと見つけましたよ。
心の中では何か小さな変化が起きていたのですね、きっろ。

「何のために褒めるのか」
それさえ間違わなければ、褒める言葉にこちらの思いも加わり、きっと相手にもより良い影響をもたらすものと私は信じています。

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