私は「受験は小論文で落ちる」と言われるほどに文章を書くのがヘタクソでした。
しかし希望した大学はどこも小論文は必須。
Z会の通信添削は悲惨なまでに真っ赤な赤ペン指導入り。
進学予備校などが近所にないため、やむにやまれず高校の先生に指導を仰ぎました。

小論文ですから現国の先生にお願いするのが本当なのかもしれませんが、「おまえ、小論文ないところに志望校変更した方がいいんじゃないか?」と言われ、「この先生には頼まない!」と思いました。
それで、同じ国語ということで「ナガ子」と私たちがあだ名で呼んでいた古典の先生にお願いしました。

ナガ子は私のヘッタクソな文章に本当によく付き合ってくれました。
ナガ子はスーパー優秀だった姉のこともよく知っていました。
ある時、私は自虐気味に言いました。
「先生、すみません。私、本当にヘタクソで・・・。姉と違って、本当に要領悪くて不器用なんです。先生、教えがいないですよね。」

するとナガ子はまんまるの目を更に大きく見開いて私に言いました。
「お姉さんはある意味天才肌よね。お姉さんは努力しなくても上手く書ける。賞も取ってたしね。由佳さんは、お世辞にも上手いほうではないね。だから努力しないと上手く書けるようにはならない。けどね、その努力や苦労が『味』になり『魅力』になると先生は思う。文章だけじゃなくって、なんでもそうじゃないの、人ってものは。」

この時ばかりは身体の小さなナガ子がとても大きく立派に見えたのを覚えています。

なかなか上手くできなかったり、要領悪かったり、全くの不器用だったり、それでもそこからの努力次第で、その人なりの『味』『魅力』を手に入れることができる。
だとしたら、何の苦労もなく最初かっら上手くできる人よりも、もしかしたら本当はお得?
そんな風にさえ思えるのです。

上手くできなくても、なかなか進歩しなくても、卑屈になることなどありません。
私なんて、「変わる!」と決めてからの悶絶期間は他人にはそう簡単に負けないだけのかなりの年月がかかっており、確かに大変だったし落ち込みもしましたが、本当にそれが『味』となり、今、こうやってお仕事に結びついているのですから。

不器用も味や魅力になる。

そう思えば、自分のあんなところもこんなところも、恥じることなく愛しく思えてくるのですから不思議なものですね。

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