昨日のブログ『相手と向き合う』を読んだ方からご感想を頂きました。

「向き合いたくっても、毎日、膨大な仕事に忙殺されていて、そんな時間、取れないんです。」

忙殺・・・
そもそもそこが問題やねん!
と心の中で呟きながらも、私は笑顔で言いました。

「向き合うのに時間は関係ないですよ。」

「え?」

不思議そうに聞き返した声の主Aさんに、私は続けました。

「Aさんは、今、私がAさんにちゃんと向き合っていると感じますか?それとも、そうではないと感じますか?」

「ちゃんと向き合ってくれていると感じます。」

「それはどのようなところからそう感じるのですか?」

「え? 僕の話をきちんと遮らずに相槌を打ちながら聞いてくれるし、質問もいろいろしてくれるし、おざなりだったらこんな感じじゃないと思います。」

「私はスマホをいじりながら話を聞いているとか、PC打ちながらとか、何か別のことをしながら話を聞いているかもしれませんよ?」

「う~ん・・・。そんな感じは受けないです。適当な感じは受けません。」

「そうですか。ありがとうございます。実際、何かをしながら話を聞いたりしていません。一生懸命聞いています。
けれども、例えば時間の関係で5分しか時間が取れないとか、研修の場で質問が殺到して、終了後もお話しする時間が持てなくて、挨拶しかできなかったとしても、私は、その方達としっかりと向き合うようにいつも心がけています。
『すみません、5分しかお時間取れませんが』と最初に丁寧にお伝えすることで、話を途中で打ち切られたという感じを相手に与えないように工夫する。
何も話す時間が持てず、最後に会釈かせいぜい『さようなら』としか言葉を交わせなかったとしても、しっかりとその方のお顔を見て、目を合わせて、『さようなら』の一言に心を込める。
これもしっかりと向き合っていることだと思うんです。
実際、どんなに時間を取って話をしても、おざなりだったら相手の心には何も残らないどころか、マイナスイメージを残すだけになってしまうかもしれませんが、たった一言の『さようなら』でも、『あの時の別れ際の表情からとても勇気を頂きました』とおっしゃっていただくこともあります。
自分の時間は有限。相手の方の都合の良いように無限大に使うことはできません。
できる範囲で向き合う。そこに必要不可欠なものは、『時間』ではなく『心』だと思うのですが、いかがでしょうか。」

黙って話を聞いていたAさんですが、静かに「そうかもしれません」とおっしゃいました。

「物理的な事ばかりに気を取られていましたが、『向き合う』って、そういうことじゃないんですね。
もう一度、ちゃんと考えます。
例えば、うんと年下の僕にも、とても丁寧に敬語で話していただいている。これも、尾藤さんの僕に『向き合う』ということだと考えて良いですか?」

「その通りです。相手への思いがあれば自然と態度、行動は決まってくると思うんです。
何も特別なことではありません。
Aさんなら大丈夫ですよ!」

すっかり明るい声になったAさんを確認してから電話を切った後、私自身、「向き合う」ということについて改めて考えてみました。
それは、何かを中途半端にしないで、心・気持ちを相手に向けるということなのかもしれません。
そこに時間は関係ない。
たとえほんの一瞬の挨拶の間しかなかったとしても、その習慣に自分の気持ちを全てそこへ集中する。
それが向き合うことのスタートなのだと思います。

お問い合わせいただいたAさん、ありがとうございます。
私自身、改めて大切なことに気づかせていただきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です