最近、異なる友人に同じような言葉を言われました。

「高校の時、たった1年同じクラスだっただけなのに、いつまでも仲良くしてくれてありがとう。」

「ゼミで1年一緒だっただけなのに、卒業後30年以上経ってもこうやって会って、変わらず話ができるだなんて、ありがとう。」

人と人との繋がりの深さに、どれだけ同じ時間を過ごしたかの「時間的長さ」はあまり関係ないと私は思っています。
それよりも、もっと大切なことは、どれだけ共感できるか、どれだけ対峙しているか、一緒にいて心地よいか、学べることがあるか、自分自身が自然体でいられるか、相手のことをどれだけ真剣に分かろうとしているか、などの「ソフト面」だと思います。

上記の二人の友人とは、高校卒業後、大学卒業後は、それぞれ別の道を歩んでいますので、それからの30年超の間、疎遠になった時ももちろんあります。
けれども今また昔と変わらずに心の内をさらけ出して話をして、共に泣いたり笑ったりできるのは、その付き合いが表面的なものではなく、心と心の付き合いだからではないかと思っています。

そう感じた時、職場の仲間とはこれまでどんな付き合いをしてきたのかと考えます。

私が転職したり、相手が転職したり、転勤したり、退職したり、同じ職場で働くことがなくなり、共有する時間がなくなった時、関係性がプツリと途絶えてしまう仲間と、今でも変わらずに心の内を語り合える仲間やかつての上司や後輩。
やはり、今でも関りが続いている人たちとは、共に過ごした時間において、本音と本音、心と心でぶつかり合っていたのではないかと思います。

職場の仲間を自分にとってどのような存在と捉えるかはその人それぞれです。
仕事とプライベートとは完全に分けて考えたい私ですから、職場の仲間と休日に遊びに行ったり、個人的な相談を持ち掛けたりと言うことはあまりしなかった私です。
しかし、仕事の関係であっても、人と人とが接するとき、表面的なものか、心と心の本音でぶつかり合っているかで、そのつながりは全く異なるものに変わります。
そして、更に振り返った時、「良い仕事」ができて、「より良い結果」を残せたのは、本音でぶつかり合えた仲間とだったことも間違いのない事実です。

職場のチームとは、人と人とが共に奏でるハーモニーでより良い結果を生み出していくものだと思います。
そのハーモニーが心地よくより良いものとなるのか、不協和音となって公害のような音にしかならないは、やはりメンバーの関係性によるところであり、表面的な関係性であっては上っ面だけの薄っぺらい音しか発することができないのだと思います。

あなたは職場のメンバーと、どんな関係性を持っていますか?
もうずっと長い間一緒に働いているからと、メンバーの事を「わかったような気持ち」になっていませんか?
本音と本音、心と心で対峙していますか?
あなたのチームは最高のハーモニーを奏でていますか?

2018年12月15日

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