「完璧な人間なんていないんだから、そこまで求めるのはどうかなぁ。」

今でこそこんな言葉を普通に言える私ですが、かつての私はとんでもない!
上司にも先生と呼ぶ人にも、とにかく自分が「仕える人」(この考え方自体がどうかとも思うのですが)には私基準の一定以上のレベルを求めていました。
学校の先生、習い事の先生、上司、先輩など、とにかく「上の人」に対して求めたのです。

普通に考えると英語を習うのであれば英語のスキルと教えるスキルが秀でていれば問題はありません。
しかし私基準に当てはめた時、例えばお金にだらしがないとか、家庭不和で揉めているとか、そういったことはNG要件となり、それらが分かったとたんに心が離れて教えを乞うことができなくなるのでした。

上司や先輩にもこの基準を当てはめていたのですから、当時の私の上司や先輩はたまったものではなかったと思います。
今思えば本当に申し訳ないのですが、「ズボンにアイロンがきっちとかかっていない」「食事の仕方がきれいでない」「借金があるらしい」「また離婚した」など、自分のことは棚に上げて、他人の粗探しをしては「私の上司にふさわしくない!」と勝手に決めつけていました。
本当に本当にごめんなさい。

他人の粗探しをして完璧を求めていた頃は、ガツガツギスギスしていて私自身が凸凹だったように思います。
ようやくこの年齢になって「完璧な人など一人もいない」と心から思えるようになり、師と仰ぐ人や何かを学ぶ先生のちょっとお茶目なところが見えたとしても、それも「特徴」と捉え、また、自分に置き換え学びとして捉えることができるようになりました。
相手を批判、否定するのではなく、まさに「人のふり見て我が振り直せ」です。

「上司のくせに・・・」
「マネージャーのくせに・・・」
「年上のくせに・・・」
「経験値が長いくせに・・・」
「親のくせに・・・」

ややもすれば危険な上から目線で相手のマイナスを責めていました。
けれども「完璧な人はいない」のです。
相手を責めるのではなく、批判するのでもなく、ましては否定するのでもなく、そこから自分は何を学ぶか、何を得るかです。
そう考えることで肩の力がふっと抜け、相手にも自分にも優しい気持ちになれる気がするのです。

あなたは誰かに完璧を求めることはありませんか?
メンバー? 上司? 子供? パートナー? 親? 友人? 自分自身?
誰かの「お茶目」が見えた時、そこからあなたは何を学びますか?

2019年03月08日

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