母が手術を受ける病院はつい先日、新しい建物の新病院になりました。
移転初日が入院日だったのですが、当日の朝はどこもかしこも大混雑。
いつもながらにたくさんの外来患者さんですが、皆さん、まずは目指す診療科や病棟、お手洗いやエレベーターの場所がわからずに右往左往。
案内の人もたくさん出ているのですが、その方達もまだ要領を得ないようで、戸惑う様子が伺い見えました。

母を病院入り口で先に降ろし、私は駐車場へ車を停めに向かったのですが、その間にお手洗いに行きたくなった母は、案内係の女性に「お化粧室はどちらですか?」と尋ねました。
「あちらです。」
建物一番奥に見えるトイレマーク(男性は青、女性は赤のお馴染みのやつです)を指さしながら女性は教えてくれたのですが、母はキョトンとしています。
「あちらです。」
そう言われて母が困った顔をしている時に、ちょうど私がロビーにたどり着きました。

母を見つけた私は「どうしたの?何かあった?」と聞くと
「トイレに行きたくなって・・・」
と答えが返ってきました。
すると案内係の女性が「あちらなんですけど」とその方向を指さします。
私には事の顛末が理解できました。
緑内障で視野が狭まり、視力も恐ろしく落ちてしまっている母には、トイレ表示は見えないに違いないのです。

「ありがとうございました」
私は女性にお礼を言うと、母に言いました。
「まっすぐ行って一番向こうにお手洗いあるよ。表示出てるけど見えづらいから、一緒に行こう。」
「さっきの人、『あちらです』しか言わないから。」
不満げな母のつぶやき。
母の目が悪いことを知らないわけですから仕方ないと言えばそれまでですが、確かに場所は病院なのですから、色々な人がやってきているわけで、それらを考慮すると「あちらです」をただ繰り返すだけというのは、案内としては「できている」とは言い難いのかもしれません。

「案内の人も、まだちゃんとわかってないみたいで、説明していてもたどたどしいものね。」
加えてそう言う母に、私はオブジェクション!しました。

「う~ん・・・。きっと、文字面というか図面上というか、一通りは頭に入っているんじゃないのかなぁ。事前にトレーニングしてるだろうし。けど、知ってるのとちゃんと説明できるのとは別なんだよ。なんでもそうじゃない。
知ってても、考えながらようやくできるのと、考えなくても目つぶっててもできるのと、極端言うと寝ててもできるのと、同じ「できる」でもレベルが違うよね。「できる」って言うのは本来は、目つぶっててもできるくらいのレベルでできる」っていうんじゃないかな。
考えながらようやくできるのは、知っているにちょっと毛が生えたにすぎない状態なんだと思う。今はまだオープンしたばっかりで、説明する人も「できる」には至ってないんだよ。「あちらです」しか言ってくれなかったのは別の問題だと思うけどね。手術は知っているに毛が生えた程度の先生じゃなくて、「スーパーできる」先生だから安心だね。」

「なるほどね、確かにね。」
笑顔で答えた母はそのままお手洗いに駆け込みました。

「知っている」と「できる」とは違います。
「〇〇ができる」というのは、考えなくても自然にできる、当たり前にできる、目をつぶっていてもできる、が「できる」ということではないでしょうか。
しかし私たちは「知っている」と、「知識がある」と思ってしまうし(正しく理解しているかどうかはわかりません)、「知っている」と「できる」と勘違いしてしまうことさえあるのです。
考えながらのうちは「できる」とは言わない。
それくらいの気持ちで高いレベルを追求してくことが成長、発展につながるのだと思います。

2019年07月06日

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