必死でがむしゃらな時
自分がなんとかしないといけないんだと責任感に尽く突き動かされている時

最初は純粋に、ただ純粋な思いだけで行動していたはずなのに
いつの間にかそれが傲りに似たものに変わることがあります。
傲りと言うとピンと来ないかもしれません。

何で自分ばっかりこんなに大変なのか
自分はこんなにやっているのに(あなたたちはたいしてやっていない)
こんなにやってあげているのに(なんだか報われないなあ)

してあげている。やってあげている。
自分ばっかり大変
もうちょっと協力してくれても、感謝してくれてもいいんじゃないのかな。

こんな風に少しでも思った時点でそれは傲りが始まっているのです。
「自分はやってあげているのに」と思った時点で純粋さは失われ、報われないと無意識も含めての思いがストレスとなって襲ってきます。

あまりにも忙しくてやること満載。
精神的にも体力的にもギリギリに追い詰められて、この「やってあげているのに報われない」に無意識に取りつかれていたMさんは、疲れもあって、体調不良で倒れてしまいました。
原因不明の激しい体の痛み。
それでも休むこともできず、必死で頑張るのですが、ついに体の痛みに耐えきれず仲間にSOSします。
快くMさんのSOSに答えてくれる仲間たち。
身体をベッドに横たえて痛みに耐えながら、Mさんは思いました。
「なんでこんな時に・・・」
しかしそこでまた考えました。
「この痛みは、このダウンは私にとってどんなどんな意味があるんだろう?ここから何を学べばいいんだろう・・・」
痛みだけでなく熱も出てきてボーっとしてきた頭でMさんは今の置かれている状態から自分は何を学べばいいのかを考えました。

痛みと熱とでうなされながらMさんが思ったこと。
それは、「自分には感謝が欠けていた」ことでした。

「やってあげている」のではなく「やらせてもらっている」
「助けてあげている」ではなく「手伝わせてもらっている」
自分を鍛え、磨くための環境を与えてもらっている、その状況と相手に感謝することを忘れ、自分ばっかりが大変、報われないと勝手に不満を心のどこかに抱いていた。
それにも関わらず、突然のSOSに快く応じてくれた仲間達。
彼らへの感謝は当然のことだけど、それ以外の全てにも、私におんぶに抱っこのAさんもBさん、指示すればちゃんと動いてくれるけどイマイチ自発的ではないCさんに対しても、そんな状況で私はどう成長すればいいのか学習状態を与えてくれている彼らへの感謝。
考えてみれば、すべては私のビジネスパーソンとして、そして人としての成長の場面なのに、感謝が足りなかった。
私は感謝に欠けていた・・・
みんな、どうもありがとう。ありがとう・・・

すると本当に不思議なのですが、Mさんの熱は少しすると下がり、身体の痛みも嘘のように消えていったのです。
内科的に、外科的にどこかが悪かったというよりも、ストレスからくる不調が、Mさんの周囲への感謝の思いを取り戻したと同時に去っていたようでした。

一生懸命になればなるほど
必死でがむしゃらになればなるほど
自分がなんとかしないといけないんだと責任感に尽く突き動かされていればいるほど
陥ってしまいがちな、忘れてしまいがちな、周囲への「感謝」

感謝 感謝
常に忘れずにいたいものです。

2019年07月22日

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