都内の大学で教鞭を取る友人が、今の学生はすぐにパワハラ、セクハラ、モラハラだとハラスメントを盾にとって教職員に接するので、その応戦がいかに大変かと延々と話し始めました。
私たち世代とは違い、大学教授・講師と学生との関係性も変わり、距離感が近くなっている昨今、誤解も生みやすく、そのため教職員はいかに自衛の策を講じるべきかのマニュアルめいたものもあり、また、大学からは「〇〇すべからず」という注意喚起メッセージも流れてくるのだそうです。
「大学は守ってくれないからね。訴えられたら終わりだと思って、こっちもそれなりにしないといけないのよ。本当にも、大変なんだから。」

彼女の話に私は大きな違和感を感じました。
私には大学教授や准教授を務める友人・知人が他にも数人いますが、彼らの誰からもそんな話を聞いたことが無く、教える側と学生との距離感が昔と違うことは大いに感じますが、それがプラスに働いていてもマイナスに作用している感は全く受けないからです。
彼らが特別なのか、彼女が特別なのか・・・

現場を直接見たわけでも、訴えられた側、訴えた側の話を聞いたわけでもないので、本当のところはわかりません。
しかし、彼女の話を聞く限り私が思ったのは、彼女の務める大学は「自衛」とか「応戦」とか、そういう表現を使っているようで、そこには意識せずとも学生を「敵」とみなしている感が透けて見えます。
学生との関係が変わってきているので教職員は注意して事に当たれ! と。
学生との関係が変わってきているのであれば、それに応じた対応方をすれば良いだけではないのかな、「敵」とみなすのではなく、より近しい距離になったのであれば、より一層関係の構築に教職側も努める必要があるのではないのかな、と勝手ながら思うのです。

大学側から発せられた注意喚起メッセージの内容を聞くと、「そんなこと、一般企業では至極当たり前のことで、わざわざ改めて言うほどでもない」ということがたくさんありました。
それを彼女に伝えると、「え?そうなの? それって常識なの?」と本気で驚いているのです。
驚いた彼女を見て私もまたさらに驚いたのですが、そのこと一つとっても、もしかしたら大学や大学で働く人たちの意識は、学生が「今時」であるのに対して、彼らのそれは「数十年前のまま」の浦島太郎さん状態なのかもしれないと思うのです。

大学で働く方でこれを読み、気分を悪くされた方がいらっしゃいましたらお詫びいたします。ぜひ、メッセージを直接頂ければ、お力になれることがもしかしたらあるかもしれませんし、私自身、あまりよく知らない世界の勉強をさせていただく機会を頂戴できるのでありがたく思います。

ただ間違いなく言えることは、企業であれ、学校であれ、上司部下であれ、先生と学生であれ、結局は「人と人」との問題です。
そこのベースが敵対意識であればうまくいくこともそうならないでしょうし、それがほんの些細なものであっても、見えない意識も相手には確かに感じられる肌感となって間違いなく伝わるのです。

何十人もいる学生と信頼関係なんて。
あいつらめちゃくちゃなのに、そんな理屈通じないよ。
小中高の教師みたいに教育者になりたいんじゃなくて、僕は学者として学問を究めることの一環として教えているだけであって、そこまでやってられない。

もしかしたら教職側にはこんなご意見もあるかもしれません。
しかし関係性が変わってきているということは、大学の教職員に求められる役割も時代の変遷とともに変わってきているのです。
強いものが生き残るのではなく変化に対応できたものだけが生き残る。
そう考えたなら、大学も、そこで教える人たちも、時代の変化に伴って柔軟に変化・進化を遂げても良いのではないでしょうか。

2019年10月12日

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