あるシンポジウムに参加した時の事です。
すべてのプログラムが終わり、最後の質疑応答時間になった時、真っ先に手を挙げてマイクを持った方の話に会場全体が思いっきり引いてしまいました。

「〇〇さんと△△さんの話は少しおかしいと思う。◇◇さんの話は良かった。私は××の資格を持っていて、■■で教えることもしているが、私だったら全体のプログラム構成をもう少し工夫するけど、それについてどう考えるか?」

それって「質問」じゃなくて「感想」「批評」じゃないですか!
この訳の分からない最初の問いかけに、一体誰が答えるのか・・・
司会者は固まってしまい、パネラーの人たちも皆黙ってしまいました。

「なに?あの人、変な人!」
「あの人、自分の言っていることが全く的外れでおかしいって気づいてないのよね。」
私の周囲ではこんな囁きさえ聞こえてきます。
実際、そこはHow toではなく、あり方を語る場として皆集まっているのに、プログラムにHow toが入っていないのはおかしいと彼は言っており、全くのトンチンカンな言い分だったのです。

しかし私はこの彼の質問に対して主催者側がどう対応するのか、そしてそれを彼がどう受けるのかに興味津々でした。
何故なら、私が登壇する企業研修やワークショップにおいても、「えぇぇぇぇぇ~???」と絶句してしまうような質問や批判、反論は時々ではありますがお受けすることもあり、そういった時の参考になると思ったのです。

この彼に対して応えた方の対応は、その答弁の内容も、態度も、私から見たらほぼ完璧でした。
決して相手を否定せずに会の趣旨を丁寧に伝え、しかしもし誤解を招いたとしたならば言葉足らずだったかもしれないことを丁寧に詫び、彼を排除するのではなく、仲間として一層受け入れようとする歓迎の言葉を伝え、その明瞭な言い回しと堂々としていながらも謙虚さも感じられる態度は、見習うべきところが満載でした。

「なんか、しょっぱなが変な質問で時間無くなっちゃって、迷惑よね。」
隣に座っていた女性が私にボソリと呟きました。
苦笑いしながらも、私は「いやいや、結構お得感満載なんですけど。」と心の中で思っていました。

「質疑応答」という本来の目的からはズレてしまったことは事実です。
しかし、こんな場の空気が一気に凍り付くような質問者に対して完璧と思われる対応をした、その一部始終を生で見ることができました。場の雰囲気が自然と和み、バツが悪くなってしまった質問者に対してのフォローでその彼も笑顔になることができた、そんな場面に居合わすことができました。ある意味、他ではなかなか経験できないとても良い学習の機会を得ることができたともいえるのです。
もし、応対者の対応がまずかったとしても、反面教師として学ぶことも可能ですし、質問者の立場にいつ、私が陥らないとも限らないわけで、「ああいう言い方は一瞬にして周囲を敵に回す」という稀有な例を知り得たこともまた貴重な学習でした。

迷惑だなんてとんでもない!
その変な質問(?)があったからこそ起こり得た場であり、ある意味、私からしてみれば大感謝かもしれません。

どんな時にもどんな場面でも、人は学ぶことができる。
全てはその瞬間の出来事をどう捉えるかにかかっている。
本当にその通りだなと改めて感じることができたシンポジウムでした。

2019年11月04日

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