茶道の先生は私たちに「お点前の順番は最後で良い。1に呼吸、2に位置、3でようやく順番と心得なさい。」とよくおっしゃいます。どんなにお点前が順番通りにできたとしても、最も大切なのは呼吸。それは茶道の基本であるおもてなしの心、自分を律する心が全て呼吸を通して行われるのであり、それなくしては茶道そのものが成り立たたないということなのです。

茶道のお稽古では単にお点前を習うだけでなく、実に多くのことを学びます。お軸の言葉もそうですし、お床に飾られた季節のお花や花入れ、香合などからも植物の名前、それらの由来、焼き物などの伝統工芸について。更にお干菓子や主菓子の名前から様々な逸話や寓話、歴史についても学ぶことができます。

 

しかし何といっても一番は、「おもてなしの心」「思いやりの心」についてでしょうか。

私たちがお稽古に伺う前日から、お稽古で使うお菓子を先生自らが手作りで準備なさいます。お茶菓子を扱っているお店からお取り寄せなさることもありますが、その場合も、主菓子は日持ちがしないため、前日に老舗のお菓子屋さんまで出かけてお求めになられます。

当日は朝からお茶室を綺麗にお掃除なさり、お床のお軸を掛け替え(毎回、違うお軸が掛かっています)、お庭から摘んだお花を花入れに生け、炭を焚き、大きなお釜にたっぷりの湯を沸かします。お稽古が始まる少し前からはお部屋を暖め、香を焚き、私たちの到着を迎えてくださいます。それはまさに微に入り細を穿つおもてなしの心に他ありません。

 

私たちはお月謝という形で謝礼をお渡しするのですが、お札は新札を用意して熨斗袋などに入れてお渡しします。新札をわざわざ用意するのは、先生への礼儀、感謝の気持ちを表すためで、伝統芸能の世界では一般的な事なのでそうです。

月謝を払っているのだから全てを当たり前と捉えるのか、先生の一つ一つに感謝して、その感謝の気持ちとしてお月謝を払わせていただくのか。心持一つで私たちの表に出てくる言動には大きな違いが出てきます。お金を払っているのだから色々してもらうのは当たり前という気持ちの方は、動画でお点前の順番だけ覚えれば良いのであって、先生に師事を仰ぐ資格はないのではと私は思っています。

 

これは何も茶道の世界だけのことではありません。

職場においても例えば、新人だから掃除をするのは当たり前、上司なのだから責任取るのは当たり前と、自分と異なる立場の人に対して何でもかんでも「当たり前」と捉え、そこに感謝の気持ちや礼儀が失われてしまっては、互いの関係性はまったく無機質なものとなり、ギスギス職場へ向かってしまうのではないでしょうか。

 

忙しい時間の合間を縫って銀行へ新札の両替へ行くことを面倒くさいと思うのか、先生への感謝の気持ちを表すための行動と捉えるのか、気持ち一つで全てが変わってきます。

そんな風に考えると、銀行窓口での長い待ち時間も先生への感謝の時間と捉えることができ、そのように物事を捉えることができるようにプチ進化した自分を少しだけ誇らしく思うのでした。

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