先日の初茶会の感想を先生に聞かれました。

身内じゃないと本当のことが聞けないから、正直に言ってね。


いつものことながら、良きこともそうでないことも、
我が師は常に真摯に受け止め、
次へ活かしてく、本当に素敵な方なのです。

感じたことを正直に言うのは弟子として、参加したものとしての務めと思い
濃茶席での違和感をお伝えしました。


お茶を運んでくださった方々は、上の立場の方達ばかりなので
私達と違って、何も考えずとも所作に迷いはないのでしょうが
だからなのでしょうか。
お茶を運んでお客様にお出しする、そこにもお人柄が滲み出るというか
出来れば、この方からはお茶をいただきたくないな
と思った方がいらっしゃいました。
失礼な事をされたとか、そういうことでは全くなく
雰囲気というか、オーラというか、ただ、単純に感じただけなんですけど。


私の感想に、先生は苦笑い。

●●●のお着物の方でしょう?
本当に、尾藤さんは鋭いわね。
水屋では大変だったのよ。
どうやってお出しするかとか、手順はとか、そこに一生懸命の時には
その一生懸命さや戸惑いが所作に出たり、
焦りや戸惑いがお客様に伝わったりするけれども
そういったことが無くなると、本当に、ただお茶を運んでいるだけなのだけど
面白いもので、そこに人柄が出るのよね。
不思議なんだけど。
結局、シンプルになればなるほど、その人自身の空気感が
そこに如実に表れるという事なんでしょうね。
お茶は、ただ点前の手順を覚えるだけじゃなくって
そう言う意味でも、自分がどうかを考えさせられるし
どんな自分でいるかをしっかりと持っていないといけないのよね。


シンプルになればなるほど、その人自身が露わになる


考えてみれば当たり前のことですが、
改めて言われると、ドキッとしてしまいました。


どんなに取り繕っても
知ったかぶりとか、デキるふりとか、
権威を振りかざしたり、偉そうな物言いをしたり
けれどもそんなメッキはすぐに剥がれてしまいます。
シンプルになった時、
恥ずかしくない自分でいられるか、
情けない自分をさらけ出すことになってしまうのか・・・

できるものなら、
人として恥ずかしくない、
何かを恥じたり誰かに媚びたりすることのない
そういう意味で堂々としていられる
自分でありたいものです。


私が茶会であれこれ迷うことなく、
自然にお客様をもてなすことができるようになるには、
まだまだ山のような修業が必要です。

しかし、ただお点前を学ぶだけでなく、
「人として」の鍛錬をもっと積まなければ
メッキだらけのエキスパートになりかねません。


何事も最後は「人としてどうか」

なのですね。

日々是修行でございます。

2020年02月07日

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