久しぶりにかかってきた友人からの電話は
新型コロナにご家族が感染したというものでした。
容体が思わしくないばかりか、
ご近所の目が怖くて誰にもこのことを相談できず、
もちろん病院へ見舞うこともできず、
気持ちがどうにかなってしまいそうだと電話の向こうで泣いていました。

彼女の心の痛みは
家族がコロナに感染したことよりも
そのことによって周囲から受けるかもしれない偏見や差別に対してでした。
完全に怯え切って心も体も委縮してしまい、
いつもの朗らかで柔らかな、春の陽だまりのような彼女の雰囲気は
全く影をひそめてしまっていました。

彼女が悪いのでもご家族が悪いのでもない、
誰の身にも起こりうること。
ただ、たまたま感染してしまった、それだけで
こんなにも傷ついてしまった彼女。
本当に恐ろしいのは、病気そのものよりも、そのことによる他人の仕打ちだと
彼女の話を聞きながらしみじみ思い知りました。

これらはコロナに限ったことではなく、
日常の小さな出来事でも、実はしばしば起こりうることです。

大きなプロジェクトで失敗してしまい、メンバーに申し訳なくて顔向けできない。
最後の最後で自分の個人目標が達成できず、チームの足を引っ張ってしまい肩身が狭い。

さぼったり手を抜いてネガティブな状況を生み出したのならいざ知らず、
前を向いて一生懸命取り組んでいても、
結果は時の運。自分では直接コントロールできないもの。
にもかかわらず、時に人は、その結果に対して
責めたり、非難したり、
ひどいものになるとその人間性を否定するような発言をしたりと、
とんでもない行為をしてしまうのです。

苦しんでいる人、悲しんでいる人に厳しい言葉を投げかけるのは
まさに傷口に塩を塗るようなものです。
誰にもそんな資格も権利もありません。

人の痛みを理解できる人でありたい。
人の痛みに寄り添える人でありたい。

きれいごとでもなんでもなく、心からそう思うのでした。


2020年05月13日

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