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曼荼羅から見えてきた「無用の用」

あるセミナーでライフヒストリー曼荼羅を描きました。

生まれてから今に至るまでの自分の人生を振り返って起承転結の4つに分け、それぞれの区分での大きな出来事とそれに関連する事柄を思いつくままに書き記し、結果⇒原因・結果⇒原因と連鎖関係をよりクリアにして「今」を創っている自分を物語にして語ってみるというものです。

 

改めて自分の曼荼羅を描いてみると、ネガティブな経験が自分で思っていた以上にたくさん溢れていました。

幼稚園の運動会での苦い思い出。スーパー優秀な姉への劣等感。中学、高校で味わったいじめ。社会人になってからの同期や先輩女性社員からの嫌がらせ。人間関係での行き詰まり。マネジメントの失敗。上司との衝突。メンタルからくる体調不良など。

 

「これまでの人生を振り返って一番充実していた時はいつか?」という振り返りに、私は「今現在」と迷わず答えることができました。皆、答えは様々でしたが、私は「今」だと確信を持っていうことができたのです。

そして更に深く振り返ってみると・・・

寄り道したり、休憩したり、どん底を味わったり、失敗やひどい目に遭うなど、一見「ネガティブ」と思える経験、できれば避けて通りたい無用とも思えるそれらの経験は、結果として私の人としての「味を深く」し、今の私を創っているのだと思いました。

そう考えると、できれば避けたかったそれらの苦い思い出も、なんだか愛おしく思えてきます。

 

「無用の用」という老子の言葉があります。一見すると役に立たない無駄に思えるようなことが、実は大きな役割を果たしているという意味です。曼荼羅を見る限り、私のこれまでの体験はまさしく「無用の用」だったように思うのです。

そう考えると無駄もいいものだと思えてきます。

 

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