社外だから指摘できる。
社外だから相談できる。
これは、けっこう本質だと思ってる。
「うちの会社のことは、うちの中でなんとかすべきだ」
その考え自体を否定するつもりはない。
でも、今の時代のマネージャーや経営層の仕事は、
10年前、20年前に比べて“量”も“質”もずっと複雑で重たくなっている。
人を育てる。チームを束ねる。成果を出す。未来を描く。
一つひとつが丁寧で、かつスピーディであることを求められる。
そんな中で、「すべてを社内で完結させなきゃいけない」は、
しんどすぎないだろうか。
料理だって、そうだ。
出汁を一から取れたら素敵だけど、インスタントの粉末出汁でも全然いい。
疲れていたら、店屋物を頼んだっていい。
掃除だって、片付けだって、それが得意な人に頼むことは、普通の時代。
「全部、自前じゃないとだめ」なんてことは、ない。
会社だって、そうじゃないだろうか。
以前、とある会社の人事責任者から、こんな話を聞いたことがある。
「ある職場が、まるで氷が張ったようにガチガチだった」と。
言葉は交わされていても、心が動かない。
先輩と後輩の間に、ちょっとした会話すらない。
チームの中で、笑顔や雑談がほとんど見られなかったという。
その職場に、外部支援者として入って数ヶ月。
定期的な訪問と個別面談、グループでの対話を重ねていくうちに、
少しずつ雰囲気がやわらいでいった。
雑談が生まれ、先輩が後輩に声をかけるようになり、
それまで続いていた離職も、次第に落ち着いていった。
もちろん、それは「たったひとりの外部の力」だけで起きたことじゃない。
現場の努力、上司や人事の粘り強さ、そして何より社員たちの変化があってこそ。
でも、その“変化のきっかけ”を作ったのは、外部からの関わりだと思っている。
それは社内の人間では言いにくいことを伝えたり、
外部だからこそできる、きめ細かな関わり。
一人ひとりに合わせた“処方”を届ける存在としての関わりだ。
ある経営者の方が、こう話していた。
「社内の人が『ここを直したほうがいい』って言うと、たいてい“命令”になってしまうんです」
だからこそ、社外の言葉が、押しつけではなく“気づき”として届くことがある。
まっすぐな言葉を、しなやかに届けられる。
そういう距離感こそが、社外の存在の強みなのかもしれない。
また、社内では日常の業務が優先されて、きめ細やかな対応に限界が生まれても仕方ない場合もある。
しかし、外部だからこそできる、“個別対応”の力がある。
「100人いたら100通りの処方がある」
「この職場の“病状”には、個別のケアが必要」
そんな風に、一人ひとりに合わせた関わり方をしていくこと。
それができるのも、外部だからこそではないだろうか。
社外として関わっていても、気持ちは社内にある。
心を開いて話してくれる社員の方達。管理職も、一般社員も、
内部では口にできない悩みや気持ちを素直に話してくれる。
それは、単なるスキルや経験ではなく、
社外の人間だけど、「仲間」として受け入れてもらえているという喜びでもある。
こうした関わりの中で、
「一時的な改善」で終わらせず、仕組み化していく流れが生まれていく。
人が変わっても、職場の雰囲気が維持されるように。
ひとつの想いや文化が、時間を超えて受け継がれていくように。
まるで駅伝のように、“心のバトン”をつなぐ仕組みを作っていく。
会社は「人」と「仕組み」の組み合わせ。
「社外の誰かを頼る」という選択も、
実は“自立した組織”をつくる一歩なのかもしれない。
どんな会社にも、日の当たる場所と影の部分がある。
その“影”の部分に、そっと光を当てる人がいてくれたら、
少しずつ、変わっていけるのではないか。
こんな風な静かな変化が、
きっと、どこかの職場のヒントになるかもしれない。
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