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モチベーションという言葉が嫌いだった私

今でこそ、研修やワークショップで「モチベーション」という言葉を多用していますが、ほんの数年前まで、私はモチベーションという言葉が嫌いでした。もっと正確に言うと、「モチベーションが下がったから仕事やる気しない」「〇〇のせいでモチベーション下がった」など、モチベーションを理由に仕事に前向きに取り組もうとしない姿勢が嫌でした。そんな私がモチベーションを大きなテーマにしている研修会社に転職したとき、当の本人である私自身が一番驚きました。

「そもそも、モチベーションは人に上げてもらうものじゃないし、モチベーションを言い訳に仕事をしないなんて出来ない人の戯言だ」

そんな風に思っていたので、「尾藤さんのせいでモチベーションが下がった」と面と向かって言われても、「あ、そう。それで?」くらいにしか感じていなかったのです。

 

今でも、モチベーションは他人に上げてもらうものではなく、自分でしっかりとコントロールするものだという考えに変わりありません。

しかし、他人や周囲の環境などの外的要因でモチベーションが下がってしまうことは、誰にでもあることです。そんな時、「あ~あ、〇〇のせいでモチベーション下がっちゃった。だからできない。」と行動を止めてしまうのか、一時的にモチベーションが下がったとしても、すぐにしっかりと自分の考えをコントロールして、「落ち込んでる暇なんてない。自分の向かう方向はこっちなんだからアクセル踏まなくっちゃ。」と思えるか、その違いが大きいのです。

私は、小学校の卒業論文で「将来は旅行会社へ入ってこんな仕事をしたい!」と夢見たその通りの会社へ入社し、希望の部署で働くことができ、お客様にも恵まれ、自分が夢見た進みたい道へまっしぐらでした。ですから、嫌なことや辛いこともたくさんありましたが、自分が進む道しか見ていなかったのだと思います。(初代女性総合営業職として、女性ではまだ存在しない団体営業生え抜きの団体専門支店支店長を密かに目指していました。)

 

私はとても恵まれていたわけで、世の多くの人たちがそのような環境下で働いているわけではありません。インフィニティの研修中にも「自分のゴールを見失っていて、まずそれを見つけないと・・・」と呟く大手企業の管理職の方もたくさんいらっしゃいます。

そのような方たちに、「ほらほら、さっさと自分でモチベーション上げなさいよ。あなた、有名企業の管理職でしょ。」とお尻を叩いてみたところで、無理なものは無理なのです。だって、人は自分の進むべきゴールが見えなければ迷走してしまう生き物なのですから。

 

モチベーションなんて! と言っていた頃の自分は恵まれていたと同時に、すべてが自分基準で、他人の痛みが分からなかった人間なのだと思います。

ゴールが分かっているのに何らかの理由で小休止している人には、ゴールを目指す強い気持ちを思い出してもらえば良い。でも、ゴールが見えない、わからなくなってしまっている人には、ゴールについて考える時間が必要ですよね。

 

私と同世代の管理職の中には、かつての私と同様「モチベーションとか言うな!」という皆さんがまだまだ多くいらっしゃるようです。わかる!わかる!そう言いたくなる気持ち! 皆さんは、とにかく必死でご自身のゴールに向かって走ってこられた方なのでしょう。頑張ってきた自分を称えると同時に、そうやって走ってこられたことを幸せに感じてください。そして、必ずしも他人は自分と同じではないということも思い出してほしいのです。

私は今でも「モチベーション下がったからできない」「〇〇のせいでモチベーション下がった」という表現は嫌いです。しかし、そう言う人たちには次のように言ってあげることにしています。

「そっかぁ。それは残念だね。気持ちの浮き沈みに関係なく、一生懸命になれるコトが見つけられるといいね。」

 

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