住民票取得のためにマイナンバーカードを持ってコンビニに行きました。
マルチコピー機の前には先に来ていた人がいて、何やらスマホを片手に操作しています。
暫く待ってもなかなか終わる気配はなく、私は少しイライラしてきました。
そんなイライラ感が伝わったのかどうか、途中で操作を止めて「ドウゾ・・・」と私に順番を譲ってくれたのは韓国人の若い女性でした。
「やった!」と内心思いました。
しかし、外国籍の人だということは操作に手間取っても不思議ではありません。
「いいですよ、続けてください。」
ともう少し待つことにしました。
そうしてイライラ感を抑えるべく、楽しいことを思い浮かべながら待ちましたが、やはりなかなか終わりません。
手間取っている女性は途中で諦めたのか、「ドウゾ」と私に順番を回してくれました。
「何をしたいのですか?」
私が質問すると、スマホにある文書をWi-Fi接続でプリントアウトしたいのだとカタコトの日本語で教えてくれました。
私自身、初めての操作でしたが、プリンターの説明順番に従って操作したところ、エラーが出ました。
何度やってもこのエラーが出るのだと彼女は悲しそうに言いました。
コンビニのWi-Fiに接続しなければならないところ、彼女のスマホでは別のWi-Fiも生きていたことが分かり、それを切断後に再操作したところ、無事にプリントアウトすることができました。
歓喜の声をあげる彼女。
傍で見ていた彼女の友人も大喜び。
彼女とその友人の二人は何度も何度も私にお礼を言いました。
「アリガトウゴザイマス」「スゴイデス。タスカリマシタ。」
私は気まずい思いでいっぱいになりました。
恥ずかしくなったというか、情けなくなったというか、自己嫌悪に陥りそうでした。
私が彼女に「何をしたいのか」と声をかけたのは困っている人を助けようという親切心からではありません。
いつ終わるかわからない操作をイライラしながら待つよりも、教えてあげる?手伝ってあげる方が早いかもという、いたって自分本位な理由からです。
結果の「手伝う」という行為は同じですが、その動機は全く違うのです。
にも関わらず、彼女は私に心からのお礼を何度も何度も言うのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいになったのは私の方でした。
そして心の中で謝りました。
「私の動機は純粋でなかった。自分都合の汚れたものでした。ごめんなさい。」
目に見える行動や結果は同じでも、その本来の動機が純粋なものかそうでないかは、最終的にもたらすものが大きく異なります。
結果オーライとごまかさず、動機の純粋性に心を寄せることができたことがせめてもの救いでした。