短歌を詠んでそれを筆でしたためる
なんとも今時ではない非日常を味わうお茶事の一つ、茶飯釜を体験しました。
私が詠んだ歌は甚だひどく、筆文字は悲しいほど拙いものでしたが、それはそれで「ま、いいか」と苦笑いの私。
そんな中、お一人だけ、茶人の歌を詠んだ方がいらっしゃいました。
え?それもあり?
初体験の私には事の是非が判断できませんでしたが、後日、先生から次のようなお話がありました。
「上手くやることが目的じゃないのよね。外部に出すわけでもないし。その場を精一杯味わう。非日常を楽しむ。別に下手でも何でもいい。自分で考えてやることに意味があるのよ。自分は下手だからイヤだとか、だから誰かのものを詠んでとか、代わりに書いてとか、それはインチキ。その場を楽しむことができなかったら何の意味もない。人と比べるからカッコつけたくなるのよ。自分は自分でいいのにね。」
ズシリと心に響いた先生のお言葉。
他人と比べない。
今回はたまたま私はできないカッコの悪い自分も笑いながら受け止めることができましたが、いつもそうかと言えば、決してそんなことはありません。
先生がおっしゃる通り、カッコつけたくなったり自分を大きく見せようとするのは、できないありのままの自分を受け入れられないのもありますが、そもそもは人と比べて自分はどうかと判断しているからに他ありません。
自分は自分、他人は他人なのに。
他人と比べない。他人と競わない。
自分が自分らしく、自分を好きでいるために最大のコツはそこにあるのではないでしょうか。
ちなみに私が詠んだ歌は・・・
五・七・五・七・七 がどうしてもその場で浮かばず・・・
俳句もどきの五・七・五になってしまいました。(しかも字余り・・・)
雨の朝 しずくも優しい 弥生一日