「結果はどうなるかわからない。また痛い目に合うかもしれない。でも、結果はどうであれ「行動した自分」をしっかりと褒めてあげるのよ。」
これは、つい先日、私がパーソナルコーチから言われた言葉です。
研修の場で色々なことをお伝えしている立場ですが、自分自信についてはなかなかポジティブアプローチが難しい私です。ここができていない。もっとこうした方が良かったのに。あれやこれやと「できていないコト」「ダメだったコト」に意識が向いてしまいます。
メンバーに対してのポジティブアプローチはだいぶ板についてきたと自負しているのですが、恐らく基本がギャップアプローチ体質なのか、自分自身に対してのダメ出しは天下一品のようです。
今回私は、新たな一歩を踏み出すべくこれまでとは異なる行動を選択しました。その行動の結果は相手次第。どうなるか全くわからない中での選択です。結果が自分の期待とは異なる場合、行動の中身をあれこれ思い悩み、また自分を責めるとコーチは思ったのだと思います。
「結果はどうあれ、『行動したという事実』に対して自分を褒めるのよ。」
コーチは何度も念押しをしてくれました。
普段、私が研修やワークショップの場で発信している事と全く同じことを自分がコーチに言われている。人は「知っている事」「理解している事」が「正しくできている」とは限らないと痛感する瞬間です。
その後、新たな行動を行いましたが、結果は私の期待したものではありませんでした。
ところが、驚くほど気持ちがスッキリしているではないですか。いつもならくよくよ悩んだり、何がダメだったのか、もっとこうした方が良かったのではないかと、ギャップアプローチによる振り返りで自分を痛めつけてしまいがちです。
しかし、今回は違いました。
「ダメだったけど、納得して考えて行動した結果だし、第一、私はこの「行動」ができた。これは私にとっては新たな挑戦に踏み出せたということ。頑張ったね、私。」
こんな風に思うことができたのです。そして、そんな風に思えた自分に驚くと共に、日頃は自分にダメ出しをしていることが多いのですが、自分を労うことにより、他者に対して一層優しくなれる自分を発見したのでした。
「自分に甘く他人に優しい」のはいかがなものかと思いますが、メンバーに厳しいマネージャーは自分自身にも厳しい方が多いのではないでしょうか。そしてそういう方達の厳しい基準は「結果」に対してあるのではないでしょうか。
結果を追い求めることはもちろん大切です。しかし、勝負は時の運であるように、結果も自分で完全にコントロールできるものではなく、まさに時の運なのかもしれません。だとすれば、結果だけでしか自分を褒めてあげられないのは少しばかり可哀想な気がします。
「行動した自分」をまずは褒めてあげる。
何を甘えた考え方を・・・ とこれまでは思っていた私ですが、本当はこんな当たり前のことが人の気持ちを後押しするのにとても重要なのだと身をもって感じた出来事でした。