昨秋から始めたボイストレーニングが1クールを終え、先日、修了レッスンを迎えました。
最初は上手に話せるようになりたい、綺麗に話せるようになりたい、と思って始めたレッスンなのですが、このレッスンで私が得たものは、話し方のテクニックよりも気持ちのあり方、「声と心は連動する」ということでした。
レッスンでは、「良い声とは地声で話すこと」と教わりました。永年、自分の地声を本来よりも高く認識していた私は、本来の自分の地声は「この高さ」と再認識したとき、少なからず衝撃を覚えました。
普段から自分の録音された声を聞くと、「こんなキンキンした声で話してるかなぁ。嫌だなぁ。」と感じていましたが、録音の声と生で入ってくる音が違って聞こえるのは仕方ない、と思っていました。ところが、本来の地声で録音した声を聞くと、「そうそう。これこれ。これが私」と、とてもしっくりとしたのでした。
子供の頃、小学校のコーラスに参加していて透き通るようなソプラノに憧れていましたが、中音の私はメゾソプラノ担当。それが嫌で、普段からわざとワントーン高い声で話をしていました。それに、高い声の方が可愛く聞こえるような気がして。以来、ずっと自分の地声をごまかしてきたような気がします。
「ああ。私はずっと、このキンキン声で話をしていたけど、これって自分を偽って良く見せようとして無理をして、結局逆効果になっていたんだ。」ということに気がつきました。
声だけに限らず、私は子供のころから自分の好きになれない部分があると、それらをごまかしてきたように思います。声は1トーン高く。学業は背伸びして。性格的な欠点については数知れずのごまかしっぷり。そして、潜在意識の中では、そんなごまかしている自分自信が好きになれないでいたようなのです。
修了レッスンでは「人生の転機」について5分間スピーチを行いました。その際、「愛溢れる声」と感想をもらい、嬉しくて泣いてしまいました。そんな風に言われたこと、今まで一度もありませんでした。綺麗に話そうとするのではなく、心のままに地声で話すことによって聞いている人にちゃんと伝わる、ということがわかった瞬間でした。
すると不思議なもの。子供の頃にはキライだった地声が、今では愛おしく大切に思えてきたのです。「半世紀近くも嫌ってきてごめんなさいね」と地声に謝ったほどです。
どんな自分もすべて自分。自分を好きになれずに上っ面を装っていても何も良いことはないと、今更ながらに気がつきました。
奇しくもトレーナーの万寿美さんが私に下さったメッセージがとても心に響いています。
「自分を愛おしく感じられれば、人もゆかさんを「愛おしい」と思うことでしょう」
相手に良く思われるためにどうにかするのではなく、自分自身を愛おしく感じるために自分磨きをこれからも心掛けたいと思います。