誰だって変わることができる

「その後」が大切

「キレちゃったんです・・・」
「つい言っちゃったんです・・・」

コンサルティングの時を待てず、ひどく落ち込んでこんな報告(?)をくれたAさん。
Aさんに限らず、「やっちゃったんだよね」と救いやアドバイスを求めるように話をしてくれる人たちは大勢います。

こんな時、「どうしたの?」「何があったの?」「らしくないじゃない」「あぁあ、言っちゃったんだ」などとは私は言いません。
殆どの場合、
「それで?」
「で、どうするの?」
「で、どうしたいの?」
とその人が何を思っているのかを尋ねます。

やっちゃった、キレちゃったということを、落ち込みながらわざわざ私に言ってくれるということは、「自分がまずかった」と感じているに他ありません。
もし、「すっごい腹立たしくって、怒りが収まりきらないから話聞いてよ!」というパターンなら、「やっちゃった・・・」ではなく、「聞いてよ!」とか「言ってやった!」となるでしょうし、そもそも落ち込んだトーンではなく、もっとトゲトゲ・カッカしたトーンでの物言いになると思います。

私に「で?」と言われたAさんは、一瞬戸惑いを見せたものの、「いやぁ、雰囲気悪くなっちゃって、まずかったとは思ってるんです。けど、めちゃくちゃ腹立って、抑えられなかったんですよね。」と続けます。
この場合、「言ってしまった」事実に対しての原因は私には大きな問題ではなく、「これからどうしたいのか」が私の最大の関心事です。

雰囲気が悪くなって何とかしたい。
キツク言いすぎたという自覚はあり、自分の中でモヤモヤがくすぶっている。

こんな風に、自分が成した行動の結果、望まない状態を招いてしまっており、それを何とか改善したいという自覚があるのであれば、私はそれが上手くいくための考え方のお手伝いをするまでですし、そうでないのであれば、「愚痴は他の人に言ってね~」と話を終わらせるだけです。
生身の人間ですから腹が立つこともキレてしまうこともあるでしょう。
ついつい感情が爆発してしまって、思っている何倍もキツイ事を言ってしまったり、そんなつもりはなくても相手を傷つけてしまうこともあるかもしれません。
誰だって起こり得ることです。(ないに越したことはありませんが)
大切なのは、「その後」です。
完璧な人間を目指せ! というのではなく、やっちゃった後、その後、どうするのか。
それが「人としてのあり方」の最も大切なところです。

間違ったことをしたり自分が悪かったと思ったなら、ごめんなさい。
お世話になったり助けてもらったら、ありがとう。
小さな子供に人としての礼儀道徳が大事だと伝えるのと同じく、大人になるとなかなか色々なモノが邪魔して素直になれない自分の気持ちをいったん正直にして、「その後」の行動をどうするかを考え、実行する。

言い過ぎり、キレてしまったり、そうならないに越したことはありませんが、大切なのは「その後」です。
あなたはコトがあった「その後」、きちんと対応できていますか?

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