禅語から学ぶリーダーのあり方

「玄中玄」真実は見えていないところにもある

玄中玄(げんちゅうのげん)

昨日の茶道のお稽古にはこのお軸が掛かっていました。
「厳しい言葉だから普段はあまり掛けないけど3月だしね。」
笑顔でおっしゃる先生のお言葉に身が引き締まります。

「玄」の意味を国語辞典で調べてみると、次の通り。
① 奥深くて明かりの及ばない所の色。黒。赤黒い色。天の色。
② 奥深い意味を感じさせる。奥深い道理。
③ 老荘の学・道教に関する言葉につける。

ああ、だから「白米」に対して黒い米ということで「玄米」、仏道の修行(奥深い)へ入り進む関門ということで「玄関」なのかと今更ながらに納得しました。

ということは、「玄中玄」の意味はと言うと、直訳すると
「奥深くて黒い中に道理がある」
つまり、「真理は目に見えないところにある」となります。

人は自分が見たり聞いたり経験したりしたことの中から「答え」を見つけようとするものです。
見えないもの、聞こえないもの、経験したことのないものは想像が容易ではないため理解することが難しいからです。
それでもその時にはまるで分らなくても暫く経ってたから、何年も後にストンと腹落ちした、理解できたということがあります。
それこそがまさに、「玄中玄」なのかもしれません。

ところでこの玄中玄ですが、禅では「三弦」と言われているものの一つで、他に「体中玄」「句中玄」があります。

体中玄は目に見えたもの、聞こえたもの、五感で感じたもの、経験体験したことなどの中から真実を見つけること。
句中玄は言葉の中に真実を見つけること。

体中玄と句中玄は普段、行っていることですね。
しかし玄中玄はどうでしょうか?
あなたはメンバーに、チームに、玄中玄の姿勢で向き合っていますか?

「一番厳しい言葉だから」と先生がおっしゃったその心の内には、春からまた新たな年度に向けてスタートする私たちに、「しっかりと心を研ぎ澄まして進みなさい」とのメッセージが込められているように感じました。
純粋でなければ、心を曇らせていては玄中玄には至りません。
「真実は見えていないところにもある」
表面的な事柄に踊らされるのではなく、常に真実を見つめる透明な心でありたいものです。

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