禅語から学ぶリーダーのあり方

「安分以養福」為すべきことを為す

9月も半ばに差し掛かり、お茶のお稽古のお軸は鵬雲斎大宗匠の御筆で「安分以養福」でした。

「ぶんをあんじ もって ふくをやしなう」と読んでの解説が多いようですが、私の先生は「あんぶんをもって ふくをやしなう」とお読みになりました。

奇しくもご本人が、ロータリークラブのガバナー月信において、この言葉についてお話されていました。

安分とは何でありましょうか。千 利休も、「茶の道は、知足を本として足るを知り、己の分に安ずること」が茶道の本意だと教えています。
自分が何であるかを知り、この世に於ける自分の為すべきことをわきまえておれば、決して道を踏み外すことはありません。
最近の世の乱れは、人々が己れの分を知らぬことに起因していると申せましょう。
己れを知り、己れの分に安じることから1人1人の幸せが生み出されるのです。
(国際ロータリークラブ第2650地区 2006年ガバナー月信1月号より転載)

これを踏まえて私自身の安分について考えた時、「私は何者か」ということを考えなければいけません。

営業として個人の成績はそれなりに残しながらも、マネージャーとしては失敗続き。「ついていけません」と去っていったメンバーは片手では足りません。このままではいけないと、マネジメントスキルではなく自らの人間力を一から磨くことにひたすら努めました。しかしこれまで沁みついた垢はそう簡単には落ちず、何度も同じ失敗をしては一人落ち込み、そのたびに私には無理なのかもと諦めかけました。今度こそ!と一大決心して新たな世界へ踏み出すも、周囲の環境に引きずられてしまう自分に苛立ち、このままでは私に沁みついた垢を完全に落とすことはできない、退路を断って自分でやるしかない! とインフィニティを立ち上げました。少しずつ少しずつ、本当にカメの歩みではありますが、自分の中で何かが変わり始め、こびりついていた錆びも垢も剥がれ落ちてきました。

私が伝えたいのは「どんな人にも無限の可能性がある」ということ。「誰でも変わることができる」ということ。そして人の心の扉を開く鍵は「愛」であり、マネージャーに必要なのはその自分なりの鍵を持つことであり、それは決してスキル(how to)ではないということを、一人でも多くのマネージャーに心からわかってもらえるよう伝えていくこと。私は「愛を贈る」人になりたいということ。

私が何者か、何者でありたいのか。それが明確になると私が為すべきことは明らかです。

お軸を見ながら私がぼんやりと考えていると、「大宗匠がおっしゃる『福』と言うのはね。」と先生が静かに微笑みながらおっしゃいました。

「福と言うのはね、美味しいものを食べたり綺麗に着飾ったりということではないのよ。3つあってね、①他人のために善行をなす ②戒律を守る ③向上心を忘れずに努力する なのよ。尾藤さん、これに当てはまるんじゃないの?」

恐れ多い!

でも、私のみならず世の経営者、マネージャーが社員(メンバー)やお客様、世の中にいかに役立ち貢献していくかを考えた時、この3つは誰にも等しく必要なことなのではないでしょうか。

「為すべきことを為す」簡単なようで一番難しい。しかし、大宗匠がおっしゃるように、一人ひとりがしっかりと行えば、チームも会社も世の中も、乱れ混乱することはなく、それぞれに福がもたらされるのでしょう。

「安分以養福」

心に刻んで忘れずにいたい言葉です。

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