1997年6月30日 香港がイギリスに統治されていたその最後の日を、九龍半島側のホテルでお客様と一緒に過ごしました。
翌日のセレモニーも楽しみ、帰国の途に着くため空港でチェックインを済ませ、出国手続きも終えて航空会社のラウンジでお客様と旅の思い出を語っていた時です。
何やら空港スタッフの様子が普通とは異なる気がしました。気にしすぎかもしれませんが、なぜか気になったので、数人いるスタッフの中でチーフと思われる方に聞いてみました。
すると・・・
搭乗予定の飛行機が機材繰りで欠航になるというのです。
夕方の便だったので、その後の便は1本だけ。しかも予定とは別の航空会社です。香港返還を見ようと観光客はもちろんマスコミ関係者も大量に押し寄せていたので最終便も満席のはず。さて、これからどうしようと、頭がフルスロットルで働き始めました。
スタッフからはパニックになるので口外しないでほしいと頼まれました。もちろんその通り。でも、私のお客様をできれば今日中に日本に返したい。
当該予定便のスタッフもできる限りの対策は取ろうとするはずです。しかし、その枠はごくごく少数のはず。ならば、どうしたらその少数枠に私のお客様を選んでいただけるのか。
私が取った行動は「自分のお客様を優先してほしい」とお願いすることではなく、これから大混乱が予想されるラウンジ内での日本語対応の手伝いを申し出ることでした。帰国予定便に乗れずに不安や苛立ちが募るのは皆同じ。そうであれば、同じ搭乗客として他の方々にご案内をすることで気持ちを共有できるかもしれないと思ったのです。
一人一人のお客様に説明を終えた頃、チーフスタッフに呼ばれました。
「尾藤さんのグループ、最終便へ振替できました。席はバラバラですけど。結局、振替できたのは、尾藤さんのグループの他には3名様だけだったんです。」
私たちだけが帰国できると他のお客様にわかると別の混乱が生じるかもしれないと気を遣ってくれたチーフが、帰国できないお客様のホテル対応をする合間を狙って、そっと私たちを最終便へ案内してくれました。
土壇場の場面で一か八かの行動を選択しなければいけない時、ごり押しだけはすまいと常々心に決めています。
あの時、最終便に振替できたのは本当に幸運でしたし、正直、なぜ私のグループが選ばれたのかは分かりません。
欠航のことなど知らなかったとラウンジに入った時から、スタッフ一人一人に挨拶をし、旅の思い出やお客様への対応についてのコミュニケーションを取って仲良くなっていたからかもしれません。また、その時自分にできる精一杯の対応をしたことが良かったのかもしれません。自分(達)だけでも帰りたいという欲を完全に捨てて手伝いに徹していたかと問われれば、それは嘘になります。ただ、それよりも混乱した現場や不安げにしている個人客の方達に何かできることがあればしたいと思ったことは確かです。
同じラウンジにいた民放テレビの有名キャスターが、私に名刺を差し出し笑顔で言ってくれた言葉を今でもよく覚えています。
「こんな混乱の中で、私たちにまで丁寧に対応いただいてありがとうございます。きっと、あなたたちのグループは振替便に乗れるのではないかと、そんな気がしています。」