まだ若かりし20代の頃、どうにも不条理だったり納得がいかないことがあった時、私はよく怒っていました。
「あんなのはおかしい!」「上司だったらもっと〇〇してくれてもいいのに!」「どうして私がこんな目に遭わないといけないの?!」
信頼して心を許していた先輩に、仏頂面をしてよくブチマケタものです。
先輩は一通り話を聴いた後で、よく私に言いました。
「ほらほら。また相手のレベルに落ちちゃってるよ。」
私があまりにもブツブツと文句を言い続けていた時、先輩が私にこんな風に言ってくれたことがあります。
「相手にしないことだよ。だって、変な人だと思うんでしょ? だったら相手にしない。」
「だって、腹立つじゃないですか!!!」
「でもね、尾藤さんがそんなに〇〇さんに対して腹を立ててるのは、〇〇さんをまともに相手にしているということだよね?つまり、同じ土俵に乗ってるってこと。それって、〇〇さんと尾藤さんは戦うに値する同じレベルだってことだと思わない?」
こう言われて、私は猛然と反発しました。
「同じにしないでください!年上だしキャリアも全然あちらの方がありますけど、同じレベルと見られるのは嫌です!」
すると先輩は笑いながら言いました。
「だってさ、相手にしてるってことは同じ土俵、すなわち同じレベルということだよね?違うんだったら、自分のレベルを落としたくないのだったら、相手にしない事だよ。」
この場合、相手の〇〇さんのことを△△のレベルと勝手にジャッジし、しかも否定してしまっており、それはそれで好ましいことではありません。しかし、冷静に物事を考えることが難しい時に、一旦クールダウンするための手段として、「自分をレベルダウンさせてもいいの?」という先輩の言葉は、向上心の塊だった私にはとても効果的でした。
相手をジャッジして否定するのではなく、自分自身のあり方を見つめてもらえるようになることが本来のゴールだったとしても、いきなりそこに向かうのが難しい人もいるのです。かつての私のように。そんな人には、何かしらの1クッションが必要であり、それが私には「レベル落ちてる。マズイ!」と自分で自分を戒めることでした。先輩はそのことをちゃんとわかった上で、私にアドバイスしてくれたのだと思います。その後、ムッとしたり反発したくなった時、「いけない、いけない。自分のレベルが落ちちゃうよ。相手にしない。」と自分にブレーキをかけることができるようになり、やがて、怒っているばかりいる自分や相手を否定・非難ばかりしている自分ってどうなのよ、とちゃんと必要な方向へ意識を向けることができるようになりました。私にあったアドバイスをしてくれた先輩に、今でも心から感謝しています。
今、私の目の前に過去の私のようにブツブツと言っている人がいたとして、その人がマネージャークラスの人だったら、「モノの見方・視点の変え方」など、王道の話をするかもしれません。
しかし、まだ若くてイケイケドンドンなメンバーや、自分の内面やあり方について冷静に考えるにはまだまだ時間が必要な人の場合、セオリー通りの話をしても全く彼らには響かないことでしょう。
そんな彼らには、「あなたのレベルが落ちちゃってるよ」の方が、おそらく心に響くのかもしれません。
王道は王道。セオリーはセオリー。しかし、最終ゴールにたどり着くための道は一本ではありません。
いつも型通りのメッセージを発信するのではなく、多少型破りだったりゴールへは回り道であったとしても、必要であれば相手のためになる伝え方・関りを常に意識したいと思っています。