NHKの朝ドラ「わろてんか」を毎朝、楽しみに見ています。
主人公 てんとその旦那さま 藤吉郎が営む寄席の経営がなかなかうまくいかないところで、藤吉郎の母 啄子が言います。
「わては寄席のことはようわからん。そやかて、商いの基本は船場も寄席も変わらんはずや」と、北村屋(啄子がごりょんさんだった藤吉郎の実家 船場の米問屋)の家訓を振り返ります。
1.始末
始末とはケチ・節約のことではない。無駄なお金を使わずに、必要な時に「生きたお金」を存分に使うこと。
例:啄子は北村屋が火の車の時でも、永年勤めた番頭がライバル店に引き抜かれて退職する際、退職金としてそれなりの額を包んで渡します。普段はしっかりと財布の紐を固く閉じているのですが、ここぞという時には経費をケチることなく、特に「人」に関わることでは惜しみなく「生きたお金」を使っているようです。
2.才覚
どこに商いの商機があるのかを見極め、誰もやらないことをやること。
例:誰も買わない古米を販売するために、お料理のレシピを考案して店前で知らせり。暑くてたまらないお客様の涼を呼び込むために、冷し飴を作り、寄席で売るだけでなく店先でも販売してお客様を呼び込んだり。
「自分たちは米屋だから」「寄席だから」と凝り固まった思考では、このような発想には至りません。そこには、お客様の笑顔(満足)を願う気持ちがあって、初めて「誰もやらないこと」「誰もやっていないこと」に目が向くのでしょう。
つまるところ、才覚とは「儲けるための才能」というよりも、「どれだけお客様の立場に立ってお客様の笑顔(満足・幸せ)を作るお手伝いができるかの能力」と言うほうが良いのかもしれません。
3.算用
金勘定のことではなく、帳尻を合わせること。「損して得とれ」ということ。
例:雨の日にやってきたお客様の履物をお帰りまでに綺麗に拭き上げて、帰りは気持ちよく帰っていただく。
ここも、下心見え見えの行動ではなく、損得を超えた「お客様を思う心」と「行動」があって、はじめて、後々の「お返し」がやってくるのでしょう。「これだけしてあげれば、きっとこういう風にしてくれるに違いない」という、下心ありありの行動は相手にも透けて見えるものです。そうではなく、どれだけ純粋に相手のことを思うことができているか。お役に立ちたい、笑顔を見たい、満足や幸福感を得るお手伝いがしたい。そう心から願う行動が出来た時、その気持ちが相手にも伝わり、それが、一見、損をしたように見えても後にお返し(得)となって当の本人にも幸せをもたらすのです。
タイトルには「営業の基本」と書きましたが、これは即ち、「人としての生き方の基本」のように思います。
営業でも、内勤事務の方でも、ご近所付き合いでも、家庭の中でも。
「死に金」ではなく「生きたお金」を使う。
〇〇はできない。前例がない。と過去や固定観念にとらわれず、「コレ!」と思ったら前例がなくとも未経験であっても前へ進んでみる。
目先の損得で生きるのではなく、相手の幸せのために尽くせる心の余裕を持つ。
始末・才覚・算用
こうして考えると、3つは別々のモノではなく、「心の持ち方」という点ですべて繋がっています。
商売人だけに留まらず、すべての経営者、マネージャー、働く人達、人間が、皆、こういう気持ちで毎日を送ることができたなら、笑顔あふれる素晴らしい職場・コミュニティ・家族になるのだと思います。