マネジメント・リーダーシップ誰だって変わることができる

大切なコトを任されるということ

「私のチューリップとヒアシンス、ペチュニアちゃん達をよろしくね!」
「よっしゃ!よっしゃ!」

帰省していた際、実家を後にする時に私と父が交わした会話です。

3月は長期で帰省する必要がありました。
幸いにして登壇のお仕事はなかったため、パソコンといくつかの資料があれば実家でも仕事ができます。
長期間留守するにあたっての最大の心配は、大事に大事に球根から育ててきたチューリップとヒアシンス。それに、一度枯らしてしまったにも拘わらず奇跡的に復活して緑が戻ってきたペチュニアです。
長期予報によると5月から6月頃の気温で晴れが続くとされる東京地方。
10日近くもポカポカ陽気で水なしの状態では、せっかく蕾にまで成長したチューリップや花が開きかけたヒアシンスが枯れてしまいます。それにペチュニアの復活に不思議なものを感じている私。
このお花たちを長きにわたって野放しにではできないと思った私は、たくさんの荷物と共にいくつかのプランターも車のトランクに積み込み、実家に持ち帰ることに決めたのでした。

愛媛も東京と変わらない陽気にチューリップは一気に花開き、ヒアシンスも見ごろを迎えました。ペチュニアの緑もどんどん濃くなってきます。
毎日、お花たちに話しかけながら鼻歌交じりでお水をあげている私に、父も母も日に1回は庭に出て花の成長を楽しむようになりました。

東京へ戻る前日、チューリップは見事に開いたものとは別に、まだいくつかの蕾がありました。ヒアシンスも真っ盛りのものとこれからものがありました。
私は実家へ持ち帰ったプランターをそのまま残していくことにしました。

「あのね、お花たち置いていくからお父さんが毎日、お水とたーっぷりの愛情をお花たちにあげてくれるかなぁ。」

一瞬の間の後、母が言いました。
「お父さんは手が不自由なままだから、お花のお世話は難しいよ。まだ自分のことで精一杯だよ。私も歩くのやっとだし。綺麗なお花楽しませてもらったけど、東京へ持って帰りなさい。」

やっぱり難しいかな・・・
諦めかけた時、父が言いました。
「毎日、たっぷりあげたらええんだろ。ふーふん。大丈夫じゃ。面倒みたる。置いて帰ってええよ。」

安請け合いして大丈夫かといぶかる母に、父は大丈夫、自分が責任をもって面倒を見ると言いました。

万が一、父が毎日の水やりをギブアップしてお花たちが枯れてしまったとしても、父が引き受けて「やろう!」と思ってくれたことを嬉しく思いました。

「お正月頃から大切に大切に育ててきた可愛いチューリップさん達だから、くれぐれもよろしくね。」
そうお願いして、私は実家を後にしたのです。

「なんかね、毎朝、楽しそうに『花に水あげてくる』と言って、お庭に出て水やりしてるよ。チューリップ満開だわ。スゴイ綺麗。ペチュニアも緑増えてきたし。手は不自由そうだけど、あんたから大切なお花任されたから、お父さんもすごい頑張ってる。いいリハビリになって丁度良かったわ。ありがとうね。」
母からこう連絡があったのは、東京へ戻ってきてから数日後のことでした。

私が大切にしていたお花の水やりを任された。

このことが父の心に火をつけたのか、不自由になった身体を嘆いてばかりだった毎日からほんの少しだけですが前を向いてきたようです。

何かを任される。
役割りを持つ。
大切なこと、責任があることを任される。

それがお花の水やりのようなとてもちっぽけな事であったとしても、「大切なモノ(コト)を任される」ということは、人に勇気とやる気を起こさせるのかもしれません。

職場においても同じです。
新人であろうと、役割を終えつつあるベテランであろうと、自信を失ってしまった中堅くんであろうと、「できること」は何かあるはずです。
その「できること」、またはちょっとだけ背伸びして「出来るだろうと思われること」を活かした「大切なモノ(コト)」を役割として彼らに任せてみる。
そうすることで、新人くんだって、消化試合に入ろうとしていたベテランだって、自信喪失に陥っていた中堅くんだって、前を向き、小さな勇気とやる気が起こり、そこからまた心に火が灯っていくのです。

あなたはどんな役割を担っていますか?
それはどうでもいい役割ですか? 誰かにとって、何かにとって大切な役割ですか?
あなたはメンバーに役割を与えていますか?
それぞれのメンバーが輝くことができる、誰かにとって何かにとって大切な役割を与えていますか?

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