先日、某サイトにこんな記事がありました。
仕事の対価として給料を支払っているのだから、給料の他に「やりがい・働きがい」まで会社に求めるというのなら、その対価として社員は何をくれるというのか。そもそも、やりがいや働きがいを会社に求めることがおかしい。
「なるほど、そういう考え方もあるのね」と思う一方、
「確かに仕事の対価として給料をいただいていますけれども、ただ何となく取り組むよりも、やりがい・働きがいを感じながら仕事ができたほうがやはり楽しいし、より高い成果が出るんじゃないの~。だったら、やりがいや働きがいを感じられるようなサポート(あくまでもサポートであって、giveではないのですが)をしても良いんじゃないの~」
と思いました。
何と言っても、
仕事の成果=決定の質(戦略・戦術・計画等)×メンバーの納得度(モチベーション、やる気、コミット具合等)
とお伝えしている私としては、「仕事だからやれ!」という昭和的発想ではメンバーの高い成果を望めないと考えているのです。
しかし!ここで間違えてはいけないのは、「やりがい」や「働きがい」はあくまでも自分で見つけて感じるもので、人から与えられるものではないということです。当の本人が自分で見つけるもの。ですから、会社や上司はあくまでも、それを見つけるサポートしかできないのです。
そもそも、働きがい、生きがいなどというものは、10人いれば10通り。一人一人が違うのです。
どんなことにワクワクするのか。どんなことに喜びを感じるのか。まさに千差万別です。他人が「え~???」と感じるようなことであっても、自分が楽しければ、やりがいを感じればそれで良いのです。他人からとやかく言われる筋合いのものではありません。
つまり、「やりがい」「働きがい」「生きがい」というのは自分自身で創り上げたものに対する感情、すなわち「幸福感」であり、他人から与えられたものに対する感情、すなわち「満足感」ではないということです。
例えば、給与が高いとか、福利厚生が整っているとか、昇進の機会があるとかというのは、すべて他人から与えられたものであり「満足感」。人は、満足にはすぐに慣れてしまう傾向があり、その状態に慣れてしまうと、いつの間にか、かつては満足していたはずの状態に不満を抱いてしまうのです。ですから、常に他人にさらなるものを求めてしまい、それがうまくいかないと不満を抱いてしまう。
一方、幸福感という自分で創り上げたものに対する感情は、その都度、自分の内面から湧き上がってくるものなので、他人がどうかは関係ありません。あくまでも主体は自分なのです。他人によって影響される満足感を求めるのではなく、自分でコントロールできる幸福感を自分で求めるのです。
「会社が何をしてくれるか」ではなく「この会社で自分は何ができるか」
この考え方が、仕事におけるやりがいや働きがい、すなわち幸福感に繋がるのではないでしょうか。
仕事ですからあくまでも業務目標はついてきます。この業務目標にがんじがらめに縛られるのではなく、業務目標の達成を目指しながら、業務の範囲内で自分のやりたいことをやる。
仕事を面白くする=会社の目標 × 自分のやりたいこと
これこそが、仕事を面白くする、幸福感を感じることができる働き方なのだと思います。
会社や上司がサポートできるのは、「メンバー自身がやりたいこと」を見つける手伝いをしてあげる、メンバーのやりたいことを理解し、仕事の場面でチャレンジできるような機会を与えてあげる などがあります。
やりたいことは特にありません。というメンバーに対しても、小さなことでも良いので、その人が楽しい、嬉しいと思うことをきっかけに、何がしたいのかを考えてもらうお手伝いを上司ができればそこから何かが始まります。
会社は、会社が与える「社員満足度」のみを追求するのではなく、社員が自分で創り上げ感じる「社員幸福度」について考える必要があるのではないでしょうか。
「働くって面白い!」
と幸福感いっぱいの社員が増えたなら、きっとその会社の未来は輝かしいものに違いないと思うのでした。