茶道に道具はつきものです。
茶碗、茶杓、棗などに始まり、窯、水差し、棚など色々な道具を用います。
茶碗一つとっても高名な作家ものだと値が張るため、お小遣いで簡単に求めることは難しいのですが、まだ売り出し中の若手作家の作品なら比較的求めやすい価格に設定されていることも多々あります。
師の下でお道具談義をしていた時、「作家と価格」についての興味深い話を聞きました。
名前が売れて有名になったからと言って、若い頃の価格の何倍もの値段、例えば人によっては5倍とか10倍とかつける作家さんもいる。
こういう人はダメ。
もちろん、若くて名前が売れていない時にはみんな安いんだけど、それでも名前が売れてもせいぜい2-3倍どまりかな。
それと、景気が良い時には値を吊り上げて、悪くなったら値を下げて買いやすいようにとする作家さんがいるけど、これもダメ。
例えば5万円で茶碗を買った人がいる。
景気が良くなったから同じ茶碗を8万にするとか、名前が売れてきたから20万にするとか。
それって、5万で買った人にとても失礼なこと。
こういうことをする作家さんは、どんなにそれが良い作品でも、私は求めようとは思わないの。
最初はふんふんと話を聞いていた私ですが、途中から???となりました。
「え? 5万で安く手に入った人は『ラッキー!』と感じるんじゃないんですか? 失礼なんですか?」
私と同じ疑問を一緒にいた仲間たちも感じたようですが、師はゆっくりと首を横に振って、教えてくださいました。
茶碗の価格はその作品の価値としてつけるもの。
作家の価値ではなくあくまでも作品の価値。
だから同じ茶碗であっても5万と20万だったら、一つの茶碗には5万の価値しかなく、もう一つの茶碗には20万もの価値があるということになる。
あなたの手にしている茶碗は5万の価値しかないんですって、失礼千万でしょ。
ましてや時勢に応じて価格を上げ下げするなんて、作品の価値はそれで変わるはずもないのに、それはもう、単なる商売人であって作家ではない。
作家の手元から作品が離れて商売人が価格をどう設定するかはそれは別の話。
そうではなく、作り手が自ら価格を操作している時点で、どうかと私は思うのようね。
なるほど。ビジネス世界の話ではなく、美術や工芸品の作り手の世界での話なんだな。
最初はそう思った私ですが、すぐにそうではないことに気がつきました。
師はきっと、モノ(コト)を提供する側のスタンスの問題について問うているのだと思いました。
3月まで放送していた朝ドラ『まんぷく』で、なかなか売れないヌードルの値段をそもそもの設定が高いから下げるべきとの周囲の声に反して、決して値段を下げなかった萬平さんの商品への思いと同じなんだとわかりました。
例えば私のコーチングフィーが1回あたり5万円だとします。
すごく有名になり、なかなかアサインも入りずらくなり、お客様の評判も上がって、フィーは今や1回15万だとします。
さあ、お客様であるあなたは何を感じますか?
「5万でやってもらえてラッキー!」 もあるかもしれません。
「なんか、ずいぶんと偉くなったのねぇ」もきっとあるでしょう。
「5万と15万とで中身どれくらい違うの?」も当然あるでしょう。
「売れたからって値段も一緒に跳ね上がって、なんだか人柄疑っちゃうよね。儲け主義に走ってる・・・」も絶対にあると思います。
売れようが売れまいが、愚直に一貫している方と、乱高下している方、あなたはどちらに信頼を置きますか?
価格付けは売り手の人柄、スタンスの表れに他ありません。
売り手側であっても買い手側であっても、単なる価格表示に踊らされることなく、しっかりと根本を見極めて必要なモノを求める・提供する、そんな自分でいたいと思います。