この数週間、ほぼ毎日というものネガティブオーラをかなり発する人との時間を持つ必要がありました。
そのネガティブ具合はと言うと、他人への罵倒、その人自身の自己否定、周囲への不平不満など、とにかく口を開けばその9割がネガティブオーラに包まれている発言なのです。
1日2-3時間ほどですが、私自身が毒されていくようで決して良い気持ちはしませんでした。
こちらが何を言っても「いやそうじゃない」「だめなんだ」「あいつは××だ」など、否定的な言葉しか返ってきません。
周囲の人たちは既にその人との会話を諦めており、まるで耳栓をしているかのようにダンマリを決め込んでいます。
出来得る限り丁寧に接しようと心に決めていても、「こんにちは」と挨拶するなり返ってくる言葉がネガティブ度満載だと、さすがに私の心が萎えてしまうことも度々です。
それでも負けずに・・・ と思っていたのですが・・・。
ついに私の心が、いえ、身体が悲鳴を上げてしまい、激しい頭痛と胃痙攣に襲われてしまい、その場に蹲って動けなくなってしまいました。
オロオロするその方は「大丈夫?」と私に声をかけてくれるのですが、その次の言葉にはやはりネガティブワードがくっついています。
あぁ、黙っていてほしい・・・
痛みに悶絶しながらそう心の中で思った私ですが、あまりにもの苦痛に言葉を発することもできず、その日は少し休ませてもらった後、すぐにその場を後にしました。
あれほど苦しんだのに、その場の空気から解放されるとすっかりと元通りに元気になっていた私。
ああ、やっぱりストレスだ。ネガティブオーラーにやられちゃったんだ。
そう思いました。
これに似たような経験をかつて、オフィスでもしたことがあります。
ものすごくネガティブオーラを発するメンバーがいて、まともに対峙した結果、やはり頭痛や吐き気、胃痛に襲われ、ひどい目にあったことがあるのです。
あの時と同じだ。どうしよう・・・
二度と関わらなくても良い相手であれば話は別ですが、そういうわけにもいきません。
また次に会う時にも、きっとあのネガティブ具合は変わらないだろうな。いや、エスカレートしているかもしれない。こっちが爆発しちゃうかもしれない。どうしよう・・・
憂鬱な気分で考え込んでいた時、師の言葉が心をよぎりました。
「戦わない」
もしかしたら、私は心の中でその人が発するネガティブオーラと戦っていたのかもしれません。
特別に言葉を発したり何か行動を起こしたわけではありません。
しかし心の中では「もうやめて!」「そんな事言わないで!」「汚い言葉を使わないで!」「人の事を悪くばかり言って、それみんな自分に返ってくるのよ!だから苦しんでいるのにわからないの?!」と叫んでいました。
つまり、心の中では戦っていたのです。
「そういう相手の幸せを祈りなさい。どんなに嫌いな相手であっても、その人の幸せを願いなさい。祈りなさい。そうすると、相手がどうなるとかではなく、あなた自身が救われるから。」
師の言葉を思い出したのです。
次の時、顔を合わせた第一声はやはりネガティブな言葉だったその方。
私は意識してポジティブな言葉を使い、心の中で祈りました。
「この方の心が安らぎますように。笑顔が戻ってきますように。楽しいことがありますように。嬉しいと感じられることがありますように。」
話をしている時も黙っている時も、その方と同じ空間にいる時は、意識してその方の幸せを心の中で祈りました。
すると・・
最初、その空間に足を踏み入れた途端に真っ黒な黒雲に包まれたような重苦しい気持ちに陥り、またしても頭痛と胃痛が私を襲いそうになったのですが、心の中でその方の幸せを祈り続けていると、不思議なことにそれらがすっと消えてなくなっていくのがハッキリとわかりました。
私自身が救われる・・・
師の言葉をまさに実感したのでした。
ネガティブオーラに接した際、それに対峙するということは、気づかずしてそれと戦っていることになり、こちらが疲弊してしまうのでしょう。
戦うのではなく、相手を憎んだりさげすんだりするのではなく、その人の幸せを祈る。
現実にはなかなか難しい事だと思います。
しかし、無視することができない相手であり、その人と共にする空間と時間を共有しなければならないのであれば、自分自身が救われる方法は、相手を何とかしようとすることではなく相手の幸せを祈ることなのかもしれません。
「情けは人の為ならず」ならぬ、「祈りは人の為ならず」なのですね。
今、もしあなたが同じような状況で苦痛に感じていることがあったなら、騙されたと思って、その苦手な相手の幸せを祈ってみてください。
相手が変わることを期待するのではなく、ただ、相手の幸せを願う。
きっと、あなた自身の心の中に穏やかな風がそっと吹き抜けるに違いありません。