心機一転、母と受診した大学病院は、先日の病院とは大きく違いました。
(その時の話はこちらから)
「大変お待たせしました。申し訳なかったですね。診察室へどうぞ。」
どの看護師さんも丁寧にかつ心からの声でこんな風に声をかけてくれます。
待ち時間は先日よりうんと短かったのですが、こんな風に言ってもらえるだけで、こちらの気持ちも随分と和みます。
「いえ、N先生に診てもらえるだけでありがたいです。ありがとうございます。」
私がこう答えると、「そんな風におっしゃっていただけると私達も救われます。」と看護師さんは恐縮して答えてくれました。
診察室のN先生は診療科のNo.2で教授であるにもかかわらずとても低姿勢でした。
それは私達患者にだけでなく、隣に一緒にいるもう一人のドクターに対しても、看護師さんに対してもそうなのです。
「Y先生はどう思われますか?」
「Kさん、この日からベッドは大丈夫ですか?」
「〇〇科と△△科との連携はどうでしょうか?」
院内の仲間に対しても敬語・丁寧語を崩さす、決して偉ぶることもなく、そのせいか、YドクターもK看護師も、臆することなく自分の考えや意見をN先生(教授)に言っているのです。
それは、N教授主導のもと、その指示命令で他のスタッフが動いているのではなく、N教授をリーダーとして、チーム全員がそれぞれ何がベストかを患者のために考え動いている、まさに「チーム」そのものでした。
トップがどんなに優秀であっても、トップ主導の指示命令型の場合、その人以上の実力・成果は成し得ません。
また、優秀だっても人はミスを犯します。
トップがミスを犯した時、指示命令に慣れているメンバーたちは思考停止のもと、そのミスに気がつかないかもしれないし、気づいていてもそれを言うことができないかもしれません。
しかし、トップを軸として全員プレーが行えるチームは、相乗効果が働いて、実力よりも大きな成果を出すことが可能なのです。
そのフラットな関係性で互いに指摘し合うことにより、ミスも起こってしまう前に防ぐことが可能です。
全員が自分の役割と責任を明確に自覚して動いているチームには自信と誇りが溢れていて、そんなチームなら大切なことを任せて大丈夫と安心感をこちらに与えてくれます。
全員プレーができるチームのリーダーとチームメンバーの「あり方」を、N教授とそのチームに見ました。
誰に対しても偉ぶることなく、広く意見を求め、自らの疑問を正直にさらけ出し、また、自分の意見や考えは率直に述べ、全員が共通理解・納得できるまで時間をかけて徹底的に話し合う。
「こんなドクター、チームがあるんだ!」と胸が熱くなりました。
高齢の母の手術は命の危険と隣り合わせでその説明も丁寧にしていただきました。
「前の△△病院でもし何かあったら、『なんだよ!やっぱりね!』と怒りが込み上げてきそうだけど、N先生たちで何かあっても、『この先生たちでそれが起きたなら仕方ないか』と思えるね。」
そう言った母の言葉には、信頼できるドクター達に出会えた安心感で満ちていました。
「実るほど頭が下がる稲穂かな」
N教授はまさに頭を下げた稲穂そのものでした。
仲間に対しての尊敬・尊重と自らの戒め(奢らず偉ぶらず)、各々の自律性こそが良いチームを創るのだと、大学病院のN教授チームから教わったのでした。