「だって、『大丈夫です』って言ったんですから!」
「『わかりました』って、全然わかってなかったんですよぉ。」
相手が発した言葉とは逆の結果に見舞われて、戸惑ったり、腹を立てたり、中には相手が正直にモノを言わないと責めてしまったり、そんな話をよく耳にします。
もちろん本音・本心をいつも話してくれればそれに越したことはありません。
でも、私自身について振り返ってみても、いつもいつも正直に本心ばかりを口にしているかと言えば、言えない時もかなりあります。
あなたはどうでしょうか?
昨日のことです。
近所の公園が改修されたことでドッグランも新しくなり、区との折衝や利用者間のトラブル対応などのために役員を決めて、つまりはお世話係を作ろうという話が持ち上がり、その責任者に私になってほしいとの声が上がりました。
私は二つ返事で引き受けることにしました。
先代ワンコの頃のドッグランがらみのボランティア活動には、当時の仕事環境ではとても関われる状態ではなく全く何もしなかったので申し訳なく思っていたのですが、あの頃のせめてもの恩返しに今できることをやろうと思ったのです。
「それで、他にはどなたがいらっしゃるんですか?」
私のその質問に苦笑いするご依頼者。
「いえね、まだ誰も。ゆうたママ(私)が一緒にやれそうな人、誘って決めてくれると良いんですけどね。」
一緒に話を聞いていたEさんが、「私はM協会の役員があるからできないけど、一緒に候補探すわ」と言ってくれたその後すぐに、Fさんがやってきました。
「ねえねえ、Fさん。ゆうたママが役員するんだけど、Fさんも一緒にやってあげてくれないかな。サブでお手伝いしてあげて。」
するとFさんは「いいですよ。」と言ってくれました。
「良かったじゃない!」と喜んでくれたEさん。
でも、私はFさんの「声」が気になりました。
「ねえ、本当にいい?本当の本当?」
すると苦笑いしながらFさんがこう言ったのです。
「いや、断れるものなら断りたい。」
「やっぱり~」と私。
「どうしてそう思ったの?」とEさん。
私 「お顔は笑ってたし言葉はYesだけど、声が戸惑ってた。」
E 「声?」
私 「うん。『目は口ほどにモノを言う』って言うけど、『声は目よりもモノを言う』んだよ。ウソ発見器がそうじゃない。どんなに笑顔で綺麗な言葉であれこれ言っても、お腹の中がそう思ってなかったら声に出るってやつ。」
E 「ああ。顔だけ笑ってて本心はどうだかわからないデパートの受付の人とか、スッチーとかのあれね。」
F 「今はスッチーって言わない。CAだよ。」
E 「なんでもいいけど、じゃあ、どうやったら『声』でわかるのよ?」
自分の気持ち・思いを声に乗せることの大切さと同様に、相手の声に寄り添って聴くことがいかに大切か、「声に寄り添う」ことを私に教えてくれたのは、私のボイストレーナーです。
言葉や表情、身振り手振りに惑わされることなく、ただ、相手の発する声だけに意識を集中して聴く。
そのトレーニングを徹底的に行いました。
すると不思議なことに、表情が笑っていても、どんなに美しい言葉を発していても、声に意識を向けることで気持ち(心)も同じなのか、本心は別なのかが次第にわかるようになってきたのです。
私 「全身全霊で『聴く』って言ったら大げさかもしれないけど、言葉やビジュアルだけでなく、声にも意識を向けることかな。」
F 「仕事でそれ出来たら、若い子の返事が本当はどうなのかとか、お客様の返事が調子のいい辻褄合わせなのかとか分かるね。」
E 「子供のことだってわかるよ」
私 「『おはよう』の挨拶一つでも、声に寄り添って相手の体調とかちょっとした気持ちの変化とかに気づけると良いだろうし、『わかりました』のOK返事だって、前向きなYesなのか、諦めのYesなのか、そこに気づけるようになったら、その後の関わり方を工夫することで関係性ももっと良いものにしていけると思うんだよね。」
結局、Fさんの役員就任はお流れになりましたが、私はそれでよかったと思っています。
声に寄り添わなかったら彼女はそのまま引き受けてくれたでしょうが、それが彼女にとってもその後の活動に対しても良い事かどうかは疑問が残ります。
メンバーが、友人が、子供が、家族が、本当のことを言わないと嘆く前に、相手の声に寄り添ってみませんか?
あれ?本心かな?
本当は違うんじゃないかな?
そんな風に気づくことで、物事への対処の仕方も変わってくるというものです。
声に寄り添う方法はたった一つ。
全身全霊で聴くことです。
物凄い騒音の中で友人が話している内容を聞かなければいけないとしたら、全身を耳にして聞きますよね。
その時、友人が泣いていたりしたら、何があったのかと相手の感情を知るべく、更に必死で聴きますよね。
ソレです。
誰だってできるし、実は必要な時には今だって既にしているかもしれません。
言葉に惑わされることなく、表情や身振り手振りにごまかされることなく、声に寄り添う。
日常から意識して行っていきたいと思っています。