入社以来、常に全力で30年近くずっと走り続けてきたMさん。
体調不良を感じながらも頑張り続けてきたのですが、ついに体が悲鳴を上げてしまい、絶対安静を余儀なくされる状態となってしまいました。
折しもそれは、Mさんが本当に情熱を傾けて取組んできたプロジェクトの追い込み時期でした。
プロジェクトリーダーのMさんが戦線離脱することでメンバーは混乱状態に陥り、そんな状態を見た役員からはMさんに対して、Mさんの体調を心配するよりも、こんな時期に倒れるなんてという心無い言葉が投げかけられました。
「僕のキャリアはもう、終わったも同然です。今まで何のために頑張ってきたんでしょう・・・。」
病室で嘆きのどん底にいるMさん。
そんなMさんに私は質問しました。
「何のために頑張ってきたの?」
Mさんは何をバカな質問をという様子で私の質問に答えてくれました。
「そんな事、決まってるじゃないですか! 偉くなるためですよ!」
「何のために偉くなるの?」
「え? ビジネスマンである以上、頂点を目指すのは当たり前じゃないですか!」
「頂点を目指すことで何が手に入るの?」
「???」
「どうして頂点にたどり着きたいの? それはMさんにとってどんな意味があるの?」
「僕はいつだって、どんな場合だって、その置かれた環境で一番になりたいんです。勝ちたいんです!」
「じゃあ、今の状態、今置かれている環境から一番を目指せばいいんじゃないの?」
「そんなの無理ですよ。役員に×をつけられたんだから!」
「じゃあ、置かれた環境で一番になりたいというのは、ちょっと語弊があるかもね。」
「・・・・」
「一番になると何が手に入るの? 一番になれないと何を失うの?」
「周囲からの尊敬。自分自身の誇り、優越感、プライド・・・」
「尊敬とか誇りとか、一番になること以外では手に入れられないの? 」
「他に勝つ方法を知らないから・・・」
「じゃあ、別の方法を考える良いきっかけになったのかもね。だって、遅かれ早かれ、例えばリタイアした後や、そうでなくても一線を離れた時とか、今までのような状態ではないんだから、その時には戦い方を変える必要があるんだよね。それが少しばかり早くなっただけじゃないの?
身体を壊したことで今までのコトがなくなったわけじゃないし、結局は、周囲にどう思われたいとか、そういうのだって、一番になること以外で尊敬を集める、別の形で尊敬されるような努力、いくらでもあるそれでと思う。
今回がそれを考える、すごく良いチャンスなんじゃないのかなぁ。」
「起こることには全て意味がある。今、休養を余儀なくされているのは、もちろん身体を休めなさいという意味があるだろうけど、そろそろ戦い方を変える時期だから、それについてじっくり考える時間を持ちなさいという意味、そんな風に考えるのはどう?」
「起こることに意味がある?」
「そう。すべてに意味がある。その意味を自分で見出すか、単に嘆いて終わるのか、ずいぶんと違うと思うけど。」
ひどく落ち込んでいたMさんにズケズケと遠慮なくモノを言った私ですが、Mさんには下手に慰めるよりも良かったようで、ベッドの上で次なるステップについて模索を始めました。
どんなことも、全て起こることには意味がある。
物事の渦に巻き込まれている真っ最中には、色々な感情が押し寄せてきて、なかなか冷静にそんな風に捉えることは難しい事もあるでしょう。
けれどもそんな時こそ「意味がある」と自分に言い聞かせてほしいのです。
その意味、メッセージに気づくか気づかないかで、その後に大きく違いが生まれるのですから。
良い出来事にもそうでない出来事にも、何気ない日常にも、非日常だと思われるような突然の出来事にも、すべてに意味があるのです。
あなたがそこからどんな意味を見出すかの、そこから何に気づき、何を学ぶのか。
チコちゃんではありませんが、ボーっと生きていては気づかずに終わってしまいますよ。