1年以上も留守にしていた実家の庭は、まるでジャングルのようになっていて、悲しいよりも笑ってしまうほどでした。
草が木のように太く固く変化して生い茂り、いわゆる雑草もほうれん草か小松菜のようにふさふさと成長して、それはもうスゴイのです。
実家でお正月を過ごすからには、この荒れた庭も何とかしたい。
事情があって夏に庭師さんに手入れをお願いできなかったことを反省しつつも、これは私の役目だと腹を括って、木と化した草を引っこ抜き、雑草を抜き、抜き、抜き、抜き、とにかく抜き・・・・。
そして次の日は、長いものでは3m近くある木と化した草を30㎝未満に足を使って体重を掛けながら折り、根っこについた土をできるだけ払い、枯葉やゴミをかき集め、最後に70Ⅼと45Ⅼのゴミ袋にひたすら詰めました。
その数全部で17袋。
我ながら一人でよく頑張った!
後は年内最後のゴミ収集に出すだけ!
と心の中で祝杯をあげていたら、父がポソリと言ったのです。
「庭、きれいになったわ。ありがとう。けど、こんなによーけはゴミ持って言ってくれんわ。前、自治会で言われた。一家庭で出すゴミはせいぜい2-3袋に制限するようって。」
けれども、市のホームページを事前に確認したところでは、枯れ枝や草などの家庭から出るゴミは、30㎝未満に折るなどしてゴミ袋に入れて出せば良いと載っていましたし、大掃除の時期なんだから、そこは何とか大目に見てくれるのではないかと私は思いました。
とは言え、父にそんなことを言われては不安が募ります。
当日の朝、不安半分期待半分でゴミ収集車を集積所の前で待ちました。
集積所にはいつもより大量のゴミが出ていましたが、その大半は我が家のモノ。
何とも申し訳ないと思いながらも、収集車が到着すると、4人いた男性のうちのリーダー格と思える人に話しかけました。
「すみません。私が大量の庭木のゴミを出したんですけど、長期不在にしていたもので。持って行っていただけるのでしょうか。」
するとその男性は、笑いながら言ってくれたのです。
「ちゃんと出してくれとるけん問題ないよ。こんだけの枝折るの、大変だったじゃろ。お姉さんがやったん?ご苦労さん。」
もう、感激です。
係の男性たちに何度も何度も頭を下げ、収集車を手を合わせて拝みながら見送りました。
普段、当たり前に受けているゴミ収集という行政サービス。
しかし、こんなにありがたいと思ったことは今回が初めてでした。
オマケに、こちらがお礼を言うべきところを、逆にねぎらいの言葉まで頂いたのです。
ありがたくてありがたくて、本当に頭が下がります。
お蔭で気持ちよくお正月を迎えることができます。
「当たり前」と思っている事。
しかし、それがなくなったり滞ったり、いつもと違う状態になった時に、初めてそのありがたみがわかるというものです。
例えば、営業事務のメンバーさんが当たり前にやってくれている細かい仕事などもそうですね。
何かの事情で突然、その人が休んでしまうことで、営業さん達は困り果て、初めてそのメンバーさんの存在のありがたみをしみじみと感じたという話もよく聞きます。
今年最後の日。
自分の中の「当たり前」に、「当たり前」ではなく「有難い」と一つ一つに心を込めて感謝しながら一年の締めくくりをしたいと思います。