自宅から15分ほど歩いたところにあるテイクアウト専門の焼き鳥屋さん。
ここの焼き鳥がお気に入りの両親に、今日の昼食は買って行ってあげようと
12時過ぎにお店へ出向きました。
ところが皮や砂肝はあるものの、ネギまやモモはありません。
「ん? もう売り切れちゃった?」
と思いながらも聞いてみようとカウンター越しに店員さんに声をかけようとして
一瞬ためらいました。
このお店、とっても感じのいい年配の男性がメインで立っている時と、
とっても感じが良くない若い女性がメインで立っている時とがあり、
今日は女性の日だったのです。
う・・・。どうしよう。
と思ったものの、せっかくここまで来たんだし、ランチタイムだし、
もう焼きあがっていて、ショーケースに並べていないだけなのかもと
思い切って尋ねました。
すると・・・
「まだです。これから焼きます。」
との返事が返ってきました。
この前の日曜日も「まだです」って言ってたよね。
社員だかアルバイトだか何だか知らないけど、
ランチ時に焼きあがっていないなんて、どういうこと???
私の心の声が不満を叫びました。
ところが!
今日の彼女は追加の言葉があったのです。
「15分か20分くらいでできますから、本数聞いて予約できますよ。
その間に、他のお買い物があれば行ってきてもらってもいいですし。
取り置きしておきますから。」
我が耳を疑いました。
これまで何回もこのお店で焼き鳥を買っていますが、
こんな申し出を受けたのは初めてでした。
しかも、今日の彼女はなんとなく柔和な表情。
これまでの不愛想を絵にかいたようなそれとは全然違います。
別人?
心の中でさらに私が叫びます。
20分待ってからの帰宅では、両親が待ちきれないので
丁寧にお断りをして、焼き鳥はあきらめてランチメニューは
変更することにしました。
ふと、くつろいでいる時に、
庭前柏樹子 (ていぜんのはくじゅし)
という禅語を目にしました。
いくつかの解説がありましたが、私の目に留まったのは
「どんな答えも聞く人の心によって
『言葉に捕らわれる者は自分を見失う』の教え。」
でした。
とっても感じが良くない店員さんというのは、私の頭がそうジャッジしてしまったからで、
その前段として、私の心の状態がそのジャッジを作り出していたのかもしれません。
「今日は一日、感謝の気持ちで心豊かに過ごそう」と朝から決めていました。
普段気がつかなかった路地に咲くタンポポにほっこり笑顔になったり
氏神様の社殿改修工事をしている職人さんたちが車の中で昼食を食べるその様子を見て「お疲れ様です」と自然に言葉が出てきたり、
決めたことによって、私自身の心がとても落ち着いた良い状態だったのかもしれません。
とすると、彼女が感じの良くない人なのではなく、私が感じの良くない客だったのかもしれない・・・・
と思った途端、冷や汗が出てきました。
庭前柏樹子
また一つ、大切な言葉に出会いました。