部長さん達対象の上級管理職研修を行っていると、世代が私と同じ昭和な方達ほど、「部下に背中を見せる」という表現を使う方が多くいらっしゃいます。
先日も、「あれこれ細かいことを言いたくない。自分の背中を見せて育ってくれればそれでいい。」とおっしゃるので、それは「どんな背中」なのか具体的に教えてくださいと、少し意地悪な質問をしてみました。
メンバーがあなたの背中を見ているだけで黙っていても育ってくれるとしたら、それはどんな背中だと思いますか?
「そんなのは一昔もふた昔も前の言い分で、今時そんな考え方では人は育たない。」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
確かにそういう考え方もあるでしょう。
しかし、「変な背中」よりも「模範としたい背中」「ついていきたい背中」はあると思います。そう考えた時、それはどんな背中なのでしょうか?
発言をした部長さんだけでなく、当日参加の全員で考えてもらいました。
どんな背中なら理想なのか?
マイケル・サンデル教授の白熱教室さながら、とても面白いディスカッションが行われ、ワクワク一番楽しんだのは私だったかもしれません。
結論は・・・
正解はありません。どれも正解。どれもありなのかもしれません。
ただ私が考える「背中」とは、「マネージャーの生き方そのもの」なのではないかと思うのです。マネジメントとは生き方。つまりは人としてのあり方なのではないでしょうか。
誇れる生き方、人としてのあり方を堂々と見せることができるのか、まだまだ修行中なのか。
修行中であったとしても、もがきながら上を目指す不屈の姿勢を見せることもまた、生き方としてアリなのではないでしょうか。
そう考えると、「背中を見て育ってほしい」という言葉は、とてつもなく重みのある言葉だと思うのです。
俺の生き方を見ろ! ということですものね。良いところだけでなく、カッコ悪いところもダメなところも全てさらけ出して、前へ進む自分の姿を見ていろ! といった感じでしょうか。
私が笑いながらこんなことを言うと、くだんの部長さんはうつむいて黙り込んでしまいました。
そこまで深くは考えていなかったと・・・
メンバーに自分の背中を見て育ってほしい! と思うことは、昭和の遺産では決してないと思います。
ただ考えなければいけないのは、それがどういう背中なのか、どういう意味合いなのかということですね。
白熱教室さながらの20数名でのディスカッション、別のテーマでも是非行ってみたいと思っています。