永年、本社の総務人事部門で奮闘している友人が呟きました。
「私のような頑固な昭和の間隔の本社の人間は・・・。仕事に対する意識など、感覚の違いを大きく感じます。私には現場との橋渡し役は無理ですね・・・。」
現場と管理部門との意識ギャップに日夜苦労している彼の本音がそこには表れていました。
「もがいているんだな・・・」そう思いました。
現場と本社のギャップ。若手とベテランのギャップ。営業と製造部門とのギャップ。多くの人、多くの部門が存在すればするほど、組織には様々な意識のギャップが生じます。これはある意味、致し方ないこと。
大切なのは、「あの人たちは違うから!」「自分はずっとこれでやってきた。歩み寄るつもりはないから!」と断定してしまうのではなく、「違いを話し合う」ことではないでしょうか。
「歩み寄る」というと、どこか譲歩しなければいけないのではと、より意固地になってしまうかもしれません。
そうではなく、「違いを話し合う」のです。
本社には本社の考え方がある。それを一方的に押しつけて現場に理解させようとするのではなく、現場には現場の言い分もあることをまずは「じっくり耳を傾ける」のです。
「いや!現場の話は聞いてますよ。でも、勝手な言い分ばかりで話にならないです。」こんな声が聞こえてきそうです。
その方達が言う「聞いている」中身が重要です。聞きたいことだけを聞くのではなく、聞きたくない事にもしっかり耳を傾けるのです。勝手なコトとか我がままとか、そういう個人的感情は一旦横に置いておいて、とにかく彼らの話に耳を傾けるのです。
「人種が違うから無理。歩み寄れない。」そう思った時点で、思った方は何ら相手の意見を素直に受け入れることはできないのではないでしょうか。「無理」というフィルターがかかってしまい、すべてが無理色に脚色されて耳に届いてしまう可能性さえあるのです。
私が大学卒業して社会人一年目の頃は、「新人類」などと先輩たちから揶揄されたものです。
「新人類」が「ゆとり世代」に文句を言っている。時代がこれだけの猛スピードで変わっているのです。生まれ育った時代が異なったり、環境が違ったりすれば価値観が違うのは当たり前のこと。そこに良い悪いはないのです。仕事で培われた価値観もまた然り。それぞれが是であると考える方が自然でしょう。
つまり、いつになっても世代間ギャップや組織間ギャップは存在するのです。それをどう埋めていくのかが大切。男女の差、国籍の差。「違い」はあらゆるところに生じます。
自分と違う考え方を持つ人を全て異星人ととらえて非難するのは、単なる自分中心の我儘にすぎないのではないでしょうか。
「彼らに支えられている事に間違いないので、頑張ります。」
そう締めくくった友人。
本当はこう言いたかった私ですが、次の機会にしようと思い、そっと心の中で呟きました。
「違うよ。支えてもらってるんじゃなくて、本社側が現場を支えなきゃね。ミラミッドの頂点は管理部門や経営ではなく、現場を経営が支える組織をどうか目指してね。」