誰だって変わることができる

キライな人が減りました

以前の私は好き嫌いがかなりハッキリしていました。
好き嫌いを言葉でハッキリさせていたという事ではなく、自分の中で好き嫌いの判断をかなりしっかりとしていたということです。
しかし残念ながら自分では顔にも言葉にも出していないつもりで、「苦手~」という空気感は溢れ出ていたようで、「好き嫌い激しいよね。」とよく友人に言われたものです。

そういう性質だから仕方ないと思っていました。
好き、嫌いがあいまいで風見鶏のような態度だったり八方美人的であったりするよりも良いと、自分を勝手に納得させていました。

しかし、ある時気がついたのです。
好き嫌いの判断は、自分の価値観を相手に押しつけているその最たるものではないかと。
だから、自分の基準や考えと異なる人は「嫌い」。同じだったり近しい人は「好き」となるのです。
つまり、好き嫌いが激しいという事は、他人への自分の価値観押しつけ度が半端ないという事で、なんとも身勝手な人間だという事に、恥ずかしながら気がついたという事なのです。

折しも、メンバーへ自分の価値観を押しつけている自分と直面化し、その更生に取り組んでいた頃。
苦手なメンバーが多かったのは、メンバーが悪いのではなく、私自身がその狭い許容範囲に相手を押し込めようとしたことに他ならないのだと妙に納得したのでした。

価値観を押しつけないように努力したのではなく、相手を理解しようと努めました。(以前にも書きましたが、人は「しない努力」よりも「する努力」の方が取組みやすいのです。そのブログについてはこちらから
そして、自分はX、相手はYであっても、「Yだなんておかしい」と思うのではなく、「Yなんだ~」と思うよう、最初はかなり意識しました。(なかなか難しかったけど・・・)
「へえ~、そうなんだ~」と最初は半ば無理矢理に思っている事が、次第に意識しなくても「そうなのね」と思えるようになってきました。
その頃には、「私は〇〇なんだけど」という私の価値感の押しつけ病はだいぶ影を潜めていました。
私は私。あなたはあなた。梅もあれば桜も桃も。チューリップだってパンジーだって、色々あっていいよね。
いたって当たり前のこと。多様性と言うには恥ずかしいくらいに「人それぞれ」を自然に受け入れられるようになりました。

すると・・・・
いつの間にか、「好き」「キライ」の概念がなくなっていたのです。
リンゴはバナナにならないしパイナップルにもなりません。ミカンはミカンで良いし、キウイはキウイの良さがあります。
バナナの甘さがないからリンゴは嫌い。と思うのではなく、バナナはバナナ。リンゴはリンゴなのです。
「私とおんなじだ~」「ちょっと違うかな」とは思っても、「私と違う=キライ」には間違ってもなりません。「私とは違うよね」とその「違い」を受け入れられるようになったからです。
つまり、私が「キライ」「苦手」と感じる人が、うんと少なくなったのです。
すると何が起こったか。
キライや苦手が少ないというのは本当に良いものです。
私の心は実に穏やかで、安らかで、イライラとかカッカするとか、そういう感情が本当に少なくなりました。
ネガティブ感情がすっかりと影を潜めてしまったのです。

「キライや苦手が多くて、そんな自分に少しばかりがっかりしている」というあなた。
あなたもキライを減らせます。
リンゴはリンゴ。ミカンはミカン。
そこから始めてみてください。
きっと心がうんと楽になるはずですよ。

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