誰だって変わることができる

イラッの主は成長の種

最近、「イラッ」とすることが2回ほどありました。
1回目は自分のペースが絶対で仲間に迷惑がかかっていることに全く無頓着なMさんに対して。
2回目は真剣に悩んで涙ぐんでいる仲間に対して、「でも、いっつも泣いているのよね。」と、その泣いている仲間を間近に見ながら大声で笑ったFさん。

かつての私だったら、一も二もなく「オブジェクション!」と物申しているでしょう。
MさんやFさんが正しいか間違っているかは別として、どちらも私が直接的に被害や迷惑を被っているわけではありません。
しかし私は、自分に関係のないことでも、自分の価値観に反する事柄が目の前で起きている時、その事実に対して「イラッ」としてしまい、その言動を取った人に対してキツ~イ一発をお見舞いすることがかつてはよくあったのです。

今回は「プチ・イラッ」が私を襲いましたが、冷静でいることができました。
なぜか?

「イラッ」とした時、その相手を責めたり批判するのではなく、「きた~!成長の種!!」と意識的に思うことにしたのです。
イラッとした時にそのイラッとした荒だった感情のまま言葉を発しては、乱暴な荒れ球を相手に投げつける形になり、人として何の成長もありません。
イラッとしてもその事実を一旦消化して、相手の心の奥深くに響き、相手が受け取りやすいボールをいかに投げることができるかを都度、考え、実行する。
なかなか難しい事ではありますが、その行為こそが「成長のチャンス」であり、「イラッとの主は成長の種」を蒔いてくれる存在ということになるのです。

イラッとでも、カチンとでも、なんでも構いません。
そんな風に不愉快な心持になった時、「Common! 成長のチャンス!」と捉えてみませんか。
どんなにネガティブな場面でも、そう考えることで思考が前を向くというものです。

そう考えると、腹立たしかったMさんも、Fさんも、大切な人に思えてくるのですから不思議なものですね。

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